最後の信仰

寛容であるという事は
多分人にとって、
あらゆる美徳を習得してなお
最後まで課題として残るものなのかも知れません。

美徳というものは
戒めを伴うものでありますが、
赦す事、寛容である事というのは
美徳の反作用として顕れる戒めさえも
赦せと言う。
許せない事すらも赦せと言う。

寛容である事の難しさというのはここにあって、
人をしておそらく
完全なる寛容を体得した人は
古来より存在しないでしょう。
少なくとも「記録」として残る人物の中では。

難しいが故に、
その完全なる寛容を会得した者は
教義の規範としての
宗教的なアイコンとなった、いや
されたのかも知れません。

それほどに、
人格として究極の到達点と言えるのでしょう。

赦すには赦すべき対象の存在が必要になるわけで、
そこには赦せないものの存在を認知しなければなりません。
それは人にとって実に不快でありますし、
その不快さを赦す事が
より善き人格たるための課題となるのです。

熟考し、存分に哲学し、
あらゆるものを赦せるようになって、
最後の最後で
人は自分の影と対峙し
そこを赦せと問うのが「寛容」です。

人間のほぼ全員は、
どれだけ習熟した人格の人間であっても、
自分の影への寛容という挑戦に挫折します。

挫折すると、
また自分の外的世界に
赦せざるものを投影してしまうから。
そうすれば、また一からやり直しです。

ここが非常に難しいのです。

自分を完全に否定したところから
自分を完全に肯定するという
境地に達した人は未だにいないでしょう。

故にともすれば、
「寛容」という概念はもしかすると
精神を宿す人類にとって
究極とも言うべき
最後の信仰なのかも知れません。


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