狂気と正常の境界線

何度もブログで言ってる事ですが、
抗鬱剤が効きはじめてからというもの、
僕の心は澄み渡った空気のように曇り無く、
静かな高原の湖面のように穏やかな
心境が続いています。
なんというか、
今この一瞬、一瞬に存在する全てが
尊く、愛おしいのです。
この今、一瞬という瞬間に
自分と、自分以外のものの全てが
調和して、やさしく抱かれ守られているような居心地が
嬉しくて、ありがたいのです。
こんな心境に至ったのは
多分、生まれて初めてでしょう。
特に、僕が精神科で治療を受けることになった時から
さかのぼること過去10年というのは、
今思えばまさに、「抑うつ状態」だったと思います。
それだけに、
今この瞬間に生きるということの
ありがたみをひしひしと感じるのです。
多幸感・・・。
ふとこんな言葉がよぎりました。
精神科ではよく使われる用語。
よんで字のごとし、
幸せに満ちあふれている精神状態。
ひょっとしたらこれは、
躁鬱(そううつ)病の躁(そう)状態なんじゃないだろうか?
そう思って、ちょっと心配になり
ネットで躁鬱病、双極性障害の症状について
ちょっと調べてみました。
ネットに記されているいろいろな情報を
総合するに、
どうやら躁転した状態ではなさそう。
ちょっと安心。
でも僕の場合「非定型精神病」といって
いろいろな精神病の症状がミックスされて顕われる
そんなタイプの精神病の疑いも指摘されているので、
あながち、躁鬱の症状も多少出ているのかもしれないですね。
でもまあいいや。
だって、今、幸せなんだもん。
一瞬、一瞬というこの瞬間が
愛おしくてたまらないんだもん。
現在、失業中ということもあってか
何も背負うものが無いので、
とても身軽で、
ただただ純粋な「いのちとしての僕」という
体験をさせてもらっている。
ああ、僕たちはきっと
この人生の、幸せなことも辛いことも
全部ひっくるめて、
それらを体験したくてこの世に生まれ落ち、
そのあらかじめ決められた全てを
体験するために、今もこうして
「縁」があって生かされているのだろう。
生きて、あらゆる体験をする、
いや体験をさせてもらっているんじゃないかな。
幸せなことも辛いことも全部ひっくるめた
体験そのものが、
神様から送られた
ありがたいプレゼントなんじゃないかって
そう思える。
そう。僕らは「いのち」なんだ。
「いのち」の何たるやを体験するために
僕がいて、あなたがいる。
その僕とあなたという関係そのものさえもが
「いのち」の発現であり、
「体験」の発露であり、
何にも代え難い、大切な一瞬そのものなんだ。
なんか難しいこと言っちゃったけど、
要するに、簡単に言っちゃえば、
縁あって、この文章を読んでくれた
「あなた」という人は、
僕にとって尊く、愛すべき人であると、
それだけのことを言いたかっただけなんです。
こういう思考が狂気であるなら、
僕は狂人で構わないよ。
狂っていようが何だろうが、
今僕は幸せなんだもん。
だれに迷惑をかけるでもなし、
むしろその「誰か」でさえ幸せであることを望んでる。
だったらもう、
それで良いじゃないですか。
狂っててもさ。
文句ある?