模索の代償#15

模索の代償・・・。
未だ癒える事のない難病を患い、
ひきこもり、精神を病み、
ぼろぼろになりながら音楽を続け、
それでも、ひたすら
僕の求める「答え」を探し続けた
これまでの10数年間でした。
思えば、僕が8年ほど前、
ひきこもりになった
その時点からすでに僕の精神は破綻を来たし、
壊れていたのだと思っています。
そして、ひきこもりから抜け出したあとも、
インディでバンドをやっていた時と同じように、
プロのシンガーソングライターに
ならなければならない、
そんな強迫観念に駆られていたのだと思います。
しかし、
精神科で治療を受けなければならないほどに
心が病んでしまった今、
プロミュージシャンになる事こそのみが
自分のあるべき人生であるという
「決めつけ」を見つめ直し、
改める必要が出てきたのです。
本当のことを言うと、
メジャーというプロの世界が
どういうところだという事は知っています。
そしてそこは、必ずしも
僕が目指す理想の自分の
居場所ではないのではないか、
客観的かつ冷静に考えて
そう思えるようになってきたのです。
僕の創る音楽は
「製品」ではく
「神聖な芸術」でありたいのです。
そうであるためには、
別にメジャーという場所にいなくとも、
いや、メジャーという世界では
実現できないもののように感じてきたのです。
とある女性シンガーソングライターの話です。
彼女は真剣に自分の心から湧き出る想いを
歌に託して唄いたかった人でした。
そんな彼女は縁あって、
レコード会社のオーディションを
受ける機会に恵まれたそうです。
そのオーディションで訊かれた事と言えば、
音楽とは全く関係のない、
「あなたのスリーサイズを教えてください。」
だったそうです。
真摯に音楽と向き合う彼女は、
自分の信じた音楽をすることに
ぼんっきゅっぼんの体型が
どうして関係があるのかと考え、
美味しいお話をお断りしたそうです。
僕はその話しを聞いて、
ひどく感銘を受け、
清々しい共感さえ覚えました。
そう。
音楽のやれる僕の居場所なんて
人に用意されて、こちらからお願いしますと
頂き、お借りするものなんかじゃない。
自分が音楽をやれる場所を
自分自身で創っていけば良いのだ。
いや、そうすることこそが
ごく自然な表現活動の
ありかたなのではないか、
そう思うに至ったのです。
僕が精神を病む直前、
僕の創った曲を、
あらゆるレコード会社の
オーディションに送りました。
結果は惨敗でした。
今になって思えば、
それで良かったんだと思うのです。
もともと縁のない世界だったのでしょう。
わざわざ、縁もなく、
望まれてもいないところに
へつらえてまで、しがみつく必要はない。
僕は所詮、地方の川魚、「鮎」なのだから、
この生まれ育った
愛すべき名古屋の地で、
名古屋の地のエナジーを頂きながら、
自分の求める音楽、
いや、
天から託された音楽を
「ここで」表現する人であれば、
それでいい。
僕が具現化したいものは
美しいもの。
ただただ美しいもの。
決して「製品」なんかではないのです。
はりぼての美しさなんかいらない。
僕が求めるのは、
どこをどう見ても、
内側も、外側も美しい、
完全な美。
究極の美学。
「美」を体現するのに、
ここでなければダメだとか、
あそこにいかなければダメだとか、
そんなのは関係なくて、
「美」というものは
どこにだって
いたるところで
創り出す事が出来る。
そう。
今、「ここで」「美」を
表現すればいいだけの事だったのです。
あくまでも僕のホームグラウンドは
ここ生まれ育った名古屋。
愛を知ると書く愛知県の名古屋。
ここから「愛と美」を体現し
発信していこう。
そして、
まだ心の病から卒業できていない
僕ではあるけれど、
ゆっくり、すこしづつ、
その為の活動をしていきたいと考えているのです。
呼ばれれば、
どこへでもその「美しいもの」を
愛を知るこの土地から
「輝ける愛と美しい音楽」をたずさえて
いつでも「愛を知らせに」
お届けしに伺いますよ。
かつてララ・ルミナスと呼ばれた
プロになりたくて必死にもがいていた人
というサナギは羽化し、
もっと純粋に
「美しいもの」を紡ぎ出す
表現者、鮎沢郁弥へとその姿を変え、
「美」の体現者となることを
今こそ、誓うのです。
10数年にわたる
僕の模索と葛藤の日々の代償には、
大きな大きな、
抱えきれそうにもないほど大きな、
おつりが還ってきました。
ありがとう。
本当にありがとう・・・。
つづく・・・。