『人生』という作品

音楽、
いやそれ以外の
いわゆる芸術と呼ばれる
その表現活動すべてにおいて、
それを上手くこなすための
方法論というものが存在します。
しかしその方法論、理論というものなど、
あって無いようなものなのです。
例えば、
国語の教師の全てが
優れた小説家でしょうか?
音楽の教師の全てが
優れた作曲家でしょうか?
体系付けた知識を身につけている事と、
人の感動を呼ぶ作品を紡ぎ出す事とは
まったく別のものなのです。
人に感動を与える基礎になるものは、
理論や方法論ではなく、
作者の人生経験なのです。
僕は歌を創る人間ですので、
音楽を引き合いに出してお話ししますが、
それは音楽以外の、
あらゆる表現活動において
言える事だと思います。
人に感動を与えられるような
音楽を作るために何をすればいいのか?
決して楽典の内容を一字一句
その頭に記憶したところで、
感動を与えられる音楽は創れないでしょう。
それなのに、
そうした理論と睨めっこしてこそ
良い音楽を生むのだと、
信じて疑わない人が
少なからずいるのですよね。
人の共感を呼び、
感動を与える作品が創りたいのなら、
そんな理論を記した
マニュアルを閉じ、
外へ出て
恋のひとつでもした方が
よっぽど作品の
血となり肉となるでしょう。
そうなんです。
音楽にかかわらず、
全ての芸術と呼ばれる作品を創るには
論理を超えた、
確かでリアルな人生経験が欠かせないのです。
その人生経験を
作品として昇華させる時、
それが混沌としたものにならないために、
方法論、理論が役には立つでしょう。
しかし、作品の魂を形作るのは
その作品を創った作者の
人生経験に他ならないのです。
たくさん笑って
たくさん泣いて
切ない恋をして
悲しい愛を知り、
傷つく事で人の痛みを知り、
失う事で何が大切だったのかを知り、
尊い人と出会い、
相容れない人とぶつかり合い、
そうした人生の一瞬一瞬が
作品を形成する
貴重なひとときとなるのです。
これを無くして創られたものは、
すぐに分かります。
人生経験という
血と肉、骨を持たない作品には
決して「魂」が宿らないからです。
作品は「魂」が宿ってこそ
美しいものになるのです。
そして、僕がこのブログで
何度も数えきれないくらい
言っているように、
「魂」の宿った美しい作品には
やはり神様が宿るのです。
真摯に自らが紡ぐ作品に向かう時、
その作品を創るという行為は
「神様」を形成する行為となる、
そう言っても過言ではないのです。
もちろん、音楽以外の
あらゆることに
それは言える事です。
究極的に、
美しい人生を生きた人は、
それだけで
「神様」と共に歩いたことになるのです。
ただ、
ここで間違えていけないのは、
美しい人生、それはすなわち
華やかな人生であるとは
限らないという事です。
明るい作品もあれば、
暗鬱な作品もあり、
きらびやかな作品もあれば、
地味な作品もある。
それらのどれもが
そこに「魂」を宿しているのなら
それは同時に、
「神様」を宿した
美しく尊いものであるのです。
あなたは
「魂」を宿した
人生という作品を今、生きていますか?
「神様」を宿した人生を生きていますか?
人生をより良く生きるための
方法論は、あって無いようなものなのです。
芸術と同じように。