願い

僕のブログのテーマ
「フィロソフィ」の記事が
ひとまず、一つの区切りをみました。
そこで、もういちど
僕がこの「フィロソフィ」というテーマで
言いたかったことを、
ざっとおさらいする感じで
総括してみたいと思います。
はじめは、
「慎み深さ」「思慮深さ」「慈悲深さ」
の必要性、重要性、
こんなテーマから始まったのです。
そこから始まり、
あらゆる観点から僕は、
人が心穏やかな生活を
いかに送ればいいのかを、
僕なりの視点で書いてきました。
それでも結局は、
決して揺らぐ事のない
「慎み深さ」「思慮深さ」「慈悲深さ」
というテーマをベースにして
「博愛」を実践するひとであろう
という結論、
そこに帰着するのです。
しかし何故、
そこまで「博愛」である事が
重要なのでしょうか?
僕たちはこの世界、この世というものを
自分の感性というフィルタを通してしか
感知する事が出来ません。
そしてまた、そのフィルタというものは
人それぞれ違っていて、
そのそれぞれのフィルタを通ってきた
その世界は、
これもまた10人いれば、
10通りの世界が存在するものなのです。
あなたが今生きているこの世は、
「あなた」というフィルタを通して
創られた世界なのです。
さらに言うならば、
その「あなた」という
フィルタを通して出来た世界は、
他の誰でもなく、
「あなた自身」が
いかよいうにも、好きなように
変える事が出来るのです。
好きなように解釈をし、
好きなものを見、
そこで、好きなように振る舞えるのです。
これはつまるところ、
「個人の体験」と言えるものなのです。
この世というものは、
こうした「個人の体験」の
集合体としてここにあるのです。
みんながみんな、
この世にある醜いものを
見ている世界とは、
それ自体がとても醜い世界となるのです。
しかし、この世のあらゆる人が
「博愛」に目覚め、
「美しいもの」に目を向ける事が出来るなら、
この世は愛に満ちた美しい世界にだって
する事が出来るはずなのです。
僕は今までに何度も言ってきました。
「美しいものには神様が宿る」と。
そしてまた、
自分の意志で「美しいもの」を見いだし、
そして「美しいもの」で
あろうとする事が出来る
あなた自身にも、
神を宿す事が出来るのです。
この世界中の人々が、
「美しいもの」に目を向け、
心に神を宿す事が出来た時、
この世は神の国、楽園となるのです。
今、世の中の全てが危ういです。
今にも解体してしまいそうなくらい
危ういです。
なぜここまで、危うい世界になってしまったのか?
そう。それは、僕たちが
「美しいもの」をないがしろにし、
目を向けようとしなかったその結果が
この今の危うい世界にしてしまったのです。
もう醜いものを見るのは飽きたでしょう。
もう十分ではないですか?
これからは「美しいもの」に目を向け、
「博愛」をもって人と繋がり、
この世を神の宿る美しい世界に
しようとしませんか?
これが、
僕がこのブログのテーマ「フィロソフィ」で
伝えたかった事なのです。
醜さで穢れたこの世を、
清浄なる博愛の地にする事が出来るのは
僕であり、あなたであり、
この世に生を受けた人々全てなのです。
それどころか、
そうした使命を持って
この世に生を受けた事を
今一度、思い出して欲しいのです。
「博愛」という土壌に咲く
「慎み深さ」「思慮深さ」「慈悲深さ」という
花でこの世を満たせるか、
それとも心卑しく、そして貧しく
我先にとむさぼるように
あらゆる物を欲し、奪い合う
そんな地獄のような世界を生きていくか、
今というこの時代、
その分岐点にあるのだということを
どうか理解し、実行に移して欲しいのです。
今、この世界は
人の欲、憎しみ、悲しみ、嫉妬、怒りで
満ち満ちて、
今にも解体してしまいそうな状況です。
この世界を解体から救うには
「博愛」の精神に目覚める事が必要である、
僕はそう願って止まないから、
このブログで
独立したテーマを作ってお話ししてきたし、
これからもしていくでしょう。
もう一度言います。
今僕たちは、
天国へ繋がる道と
地獄へ通じる道の分岐点にいます。
どちらを進むか、その舵取りをするのは
僕たち、ひとりひとりの
心のありがたなのです。
ですから、どうか皆さん、
天国への道を選んでください。
「博愛」に根ざした
「慎み深さ」「思慮深さ」「慈悲深さ」を
携えて、天国へと向かう道を
選んで欲しいのです。
なぜなら、
この世界を壊す事無く維持できるのは、
天国へ通じる道のみだからです。
ですから、どうか皆さん、
よく考えてみてください。
人にとって、人のために、
もちろん自分のためにでもあり、
誰もが心穏やかで
幸せに満ちた人生を送る事が出来る道は
どちらにあるのかを。
すべては僕を含めた、
この世を生きる全ての人の
意思という舵取りに任されています。
それは同時に、
僕たちの「意思」が
試されている時代でもあることを
意味するものでもあります。
お願いです。
どうかお願いです。
よく考えて、
あなたはあなたの人生の
舵を切ってください。
そして、
供に天国へ通じる道を歩く
同じ仲間として、
その約束された楽園へと向かいましょう。