挫折の歌

思えば僕は、音楽で
挫折して良かったとさえ
最近は思うようになりました。

むしろ若い頃、まぐれで
プロになってしまっていたとしたら、
多分、いや絶対に
僕は嫌な奴のままだったろうし、
おそらく挫折後の僕が見たどん底とは
もっと別次元の
身の毛もよだつほど恐ろしい
没落の道を辿っていたと思います。

まさに外道の末路を辿っていたのではないかと
思う事もしばしば。

まず、何より
音楽に対する姿勢が
不真面目極まりなかった。
今の僕からすれば、
本当の意味で「音楽」などやっていなかった。

そんな姿勢で幸運を手にしてしまったら、
むしろその揺り返しが怖い。

そう考えると、むしろ
一旦、僕を取り巻く音楽のある環境を
捨てて、独りきりになった事は
ある意味セーフティネットですらあったのかもしれない、
そう感じます。

当時の腐れ外道だった僕を
社会に関わらせておいたら、
きっとそのうち
取り返しのつかない過ちを犯してしまった
可能性は大いにあったと思います。

引き蘢って、自らを
隔離して良かったのだと思います。
独りで部屋にこもっている分には、
他所様に多大な迷惑をかける事は無かったでしょうから。

むしろ、僕は自分の人生の中で
バンド活動をしていた時期のというのは、
その後の「挫折」を味を知るために
仕組まれていたのかもしれないと思うのです。

僕はあの時「挫折」を学ぶ必要があった。

「挫折の歌」は成功者には唄えない。

「Lalah Luminoux」以前のイクヤは
きっともう死んでいると思うのです。
この世には居ない。

以前、感染症をこじらせて
死んでもおかしくない状態から、
何故か死なずにいきてはいますが、
本当はあそこでイクヤは死んでいると思っています。

何故死んだのか?

それはきっと、
「自分を満たす為の音楽」を作る人間から、
「人の心を満たす音楽」を作る人間になる
準備が整ったからだと考えています。

いや、満たすのは
「生きている人」の心だけではないのかもしれません。

この世界には、
イクヤのように夢破れて挫折したまま
浮かばれない「想い」があちこちに
たくさん漂っています。

僕はこの「想いたち」を癒す為に
唄うのでしょう。
この「想いたち」を光のある場所へ還す為に
挫折の鎮魂歌を唄うのでしょう。
僕は彼らの夢を叶えたい。

もう、それ以外の事は
考えなくても良いのではないかとさえ思っています。

自分の役目だけを真摯に果たしていれば
自然に生かしてくれるものであると、
何故だか根拠の無い確信があります。

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