母性を学ぶ

周知の通り今、
アルバム制作のための勉強をしています。
そのテーマは「命」。

そういう題材であるため、
生と死の在り方については
色々と学ばせてもらっています。

作品の中(まだ何も作っていません)で
生と死は重要な鍵となるのですが、
ただ自ら勉強し、
自分なりに咀嚼して
作品にしようと考えると、
どうもそれだけでは片手落ちというか、
生と死を語ったところで
単なる、思想の偉人の言うところを
なぞらえるだけの、
質的に軽いものになると感じ、
作品に重みを与える決定的な「何か」が
欠けているのだけれど、
その「何か」が分からないと
模索していたのです。

最近、その答えを見つけた気がするのです。
人の生き死にという摂理、あるいは真理を
終始貫くものの存在。

それが「母性」。

ここで母性の定義をここで
定めておかなければならないのですが、
ここで言う「母性」というのは
親子関係の中に存在する母性とは違います。
かと言って
医学などでで学ばれる分野としての「母性」とも違うし、
社会運動としての「母性」とも違う。
まして半ば宗教じみた概念によるところのそれとも、
似て非なるものです。

上述の語るところの「母性」は
その一面を捉えてはいるけれど、
全体ではない。

ならば僕の言うところの「母性」とは何か。

それは「命」が
生から死へと流れる時間軸において、
もっとも健全かつ健常な状態で足らしめる
ある種の「力学」であり、あるいは「場」

これは、ひとつの有限であるところの
生と死のサイクルを
貫通する力学的な性質で、
「いのち」の存在には不可欠な
要素として「母性」という力は存在するのではないか、
そんないわば仮説のようなものを
打ち立てるところに
答えはあるのではないか。
そう考えたのです。

僕は、「いのち」という現象と
その「かたち」が知りたくて、
今も学んでいる最中なのですが、
生と死という対極にある概念を
貫き、均衡たらしめる
「第三の概念」を発見したとき、
僕は心の深い部分から湧き上がる
興奮に、その夜は眠れなかったくらいです。

僕はこの「母性」というものの学びについて
まだ、戸口に立っているだけ
というのが現状です。

今の段階で言えることとしては、
生と死という両極を束ね
全体という本質を形成するものが
「母性」という概念なのだろうということ。

単なる、音楽制作の資料として
扱おうとしていた「いのち」は
とてつもなく深く、
「母性」の発見によって
新たなステージが見えてきました。

ここまでくると、
音楽を作るためというのが
ただの口実に過ぎず、
この真理への深い理解を得るための
道筋をたどっているのではないか
とさえ思えてくるのです。