「失敗」のフィロソフィ(応用)

昨日は「失敗」というものは
人が勝手に作り出した
「主観」による
自分だけの評価に過ぎないという
示唆について触れました。

昨日も述べたように、
その失敗も
それは誤りであった事を学ぶ機会である
と捉えるなら、それは
何も失敗ではないわけで、
そこに失敗という概念すら成立しないわけです。

そして「過ち」と感じたそれに
自責や羞恥を感じさせるその苦痛こそが
人をそれが失敗であると錯覚させる
実態である。

そのような話を昨日はしました。

昨日のような「失敗」に先立つ
個人的感情の元凶ともなりうる
「負の感情」というもの、
つまり「苦」というものは大別すれば
上述でも言及しているように
自責、そして羞恥、
そして喪失。
主にこの3つのうちのどれか、
あるいはこれらが複合的に絡まり合った状態となって
発現する時、人はそれを苦と感じるのだと思われます。

しかしこうしたものは、それでもやはり
あくまで自分自身の主観によって
規定され、認知されたものである事に
変わりはないわけで、
その人の考え方次第でその
「苦」と「苦でないもの」との線引きは
生きていれば常に揺らぐものであり、
必ずしも恒常性という性質をはらんだものではないのだと思います。

例えば「羞恥」を引き合いに出すなら、
以前は恥ずかしいと感じた事も
考え方が変わったり、
それこそ慣れてしまえば
何も恥ずかしい事ではなくなってしまった、
またあるいはその逆もまた然り
ということは人生に於いて本当によく散見されるものです。

その人の観念、通念、認知が変わると
その線引きが実に移ろいやすいものが
「羞恥という苦」であろうと思います。

これは「自責という苦」にしても同種の事が言えるわけで、
考え方が変われば実は
自分が責められるべきものではなかったということも
よくある事です。

そして、
それでも自分は責められるべき存在であると
まだ「苦」にしがみつく状況というのは、
恐らくそこに何かしらの
「喪失という苦」が根本にあるのかも知れません。

実はこの「喪失という苦」を乗り越える事が
人の心にとって最大の難所であるように感じます。
何故なら当然、一度失ったものは
返ってこないから。

もうそれは自分のものでは無くなった。
転じてさらに、
それは自分以外のものとなってしまったという
分離を体験するからです。

心にとって最大の苦痛は分離だったりします。

故にこの「喪失という苦」を克服する事が
最も難しいのです。
分離してしまったと感じるものを
心に再統合する事の難しさがそこにある、
と言い換える事も出来るでしょう。

さて、ここでもう一度
失敗と呼ばれる事象に対しての
単純的な概念に立ち返ってみましょう。

失敗したという事象を人は
本質的には体験出来ません。
それが失敗であったという
経験の蓄積は出来ても、
一切何も得る事の無いまま終ってしまう
失敗というものを人は体験出来ません。

実のところ「喪失」もまた
経験に蓄積されるものなのです。
分離という苦痛もまた
経験に蓄積されるだけで、
今目の前に物理的に喪失する事はあっても
経験という堆積の中では
それは何も分離はしていなかったりします。

むしろ「喪失」という概念の一つを
学ぶ必要があったという考え方をすれば、
その分離も必然のものとなり得るのです。

「喪失」は何も失敗ではない。
「喪失」という体験を得る為の
必然の体験であり、
まして自責でもなければ、
物の考え方一つで羞恥さえも乗り越える事が出来る。

失敗に伴う「苦」というものは
いずれもおよそ幻想に過ぎないという事の意味は
そこにあるのです。

こうした「経験によって伴う苦」というものは
大抵の場合は結果的に
経験の堆積という次元で
遅かれ早かれ統合されていき、
分離という苦痛から解き放たれるように
出来ているのだと思うのです。

ただもちろん、
その分離の苦痛をいつまで体験しなければならないか、
それはその人の心の在り方次第な部分もありますし、
分離の激しさによっても千差万別ではあると思います。
しかしそれでもやはり、
最終的にはそれはその人の叡智として
それは蓄積されて、その積もり重なった模様こそが
その人のパーソナリティとなるのでしょう。

このように「経験によって伴う苦」つまり
「失敗」とは
時が過ぎればそれもやがて
自身の経験の中へ統合され、蓄積されて
結局は知らずのうちに
それを肯定してしまっていくものなのです。

何故なら肯定する事によって
パーソナリティは発現するものであるから。

肯定出来ない物事がある時というのは、
おそらくきっとまだ
心の中に統合出来ないミスマッチが残っている
という事であると思うし、
統合へ向かう途上にあるとも言えるし、
完全なる真のパーソナリティを形成するうえで
まだ克服しなければならない
課題がそこにあるのでしょう。

人の心が成長するという事は
そうしたミスマッチを肯定していく事で
自身の認識に統合していく事だと思うのです。

故にやはり、
失敗というものはこの世に存在しないし、
人はその失敗というものを体験出来ないのです。
失敗と感じるのならばそれは
やはりそれは
ただの幻想に他ならないのではないでしょうか。

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