千羽鶴

Je pense à~
昨日、病院の帰り。
薬を貰いに薬局へ行ったんです。
テレビで高校野球がやっていました。
もちろん
甲子園でやる全国大会ではなく、
愛知県の決勝戦です。
僕は貰う薬が届くのを待っている間、
別段、しっかり見るでもなく
横目に試合の行方を見ていました。
一方のチームは
甲子園の常連である強豪の高校。
かたやもう一方のチームは
シードでもなく、
こつこつとトーナメントを
ひとつひとつ勝ち残って
決勝まで這い上がってきた、
失礼ながら野球に関しては
実にマイナーな高校。
テレビから実況される試合で僕は、
ふとある物を目にしました。
強豪チームではない、
失礼ながらマイナーなチームの
ベンチの後の壁に掛けられた
沢山の千羽鶴を。
実際のところ多分、
みんなでお祭り気分で
千羽鶴を作ろうぜ的なノリで
作ったのかもしれません。
でも、千羽鶴って
見る側の者にとってすれば、
それは
なんと穢れのない祈りを
かたどり、
そして
どこまでも純粋な
想いのこもった
オブジェクトに見えることか。
僕の想像の中で、
野球少年の活躍を
ただただ純粋に祈る想いを
そこに感じて、
ちょっぴり涙腺がじわっと来ました(笑)
祈り。
世の中には様々な祈りがあるけれど、
日本の場合
千羽鶴を介した祈りほど
見返りを期待しない
祈りは他にあるのでしょうか。
たとえば、病気をして入院をすれば
千羽鶴を作ってくれる人がいる。
痛ましい災害があり、
沢山の死者が出た場所にも
千羽鶴は捧げられる。
日本人にとって
本当の祈りこそ、
千羽鶴という形に変わって
捧げられるものであると言っても
過言ではないのではないでしょうか。