ヨロズーを偲んで

5月です。
5月1日。
4月30日まで、ネット上には
YoroZooと呼ばれる音楽SNSサイトがありました。
僕もそこで、自分の曲を作って公開していました。
正直なところ、
僕はこのYoroZooにアーティスト登録をして、
楽曲を公開しているものの、
なんというか
ちょっと斜に構えてたというか、
他のアーティストさんとの間に
ここから先は立ち入り禁止的な
境界線、いや壁を作っていました。
自分は音楽を公開するために
YoroZooという音楽SNSに入会したのであって、
お友達ごっこをするために入会したんじゃない、
始めのうちはそういう距離感をもって
YoroZooと付き合っていました。
もちろん、第一の目的は音楽を公開する事、
これは変わる事はありません。
しかし、ものを創る者同志の横の繋がりというものを
おろそかにしていたのです。
このブログの上の方にも書いてありますが、
今僕はうつ病を患っています。
うつ病を患い、精神状態がぼろぼろだった時は
そのYoroZooにアクセスしていなかったのですが、
抗鬱剤が効いてきて
ようやく本来の自分を取り戻しはじめた頃、
再びYoroZooにアクセスしてみました。
すると僕の目に飛び込んできたのが、
このYoroZooを運営していた会社が
業績不振により、解散する事になったというニュース。
そして、YoroZoo閉鎖の危機という噂話。
YoroZoo内のコミュニティに
「YoroZooの存続を願う会」なるものまで出来、
いつそのYoroZoo閉鎖のXデーが訪れるのかとか、
なぜYoroZooが閉鎖する事になってしまったのかとか、
いろいろなことが、そのコミュニティに書き込まれていました。
そしてとうとうXデーを知らせる告知が
YoroZoo運営者によってアナウンスされます。
それが10日ほど前(4月22日だったか?)の事です。
それから10日ほど、つまり4月30日までの期間は、
YoroZoo登録アーティストにとって、
非常に密度の濃いものになりました。
ヨロズー閉鎖のアナウンスとともに、
アーティストが互いに作ってきた垣根を取り払い、
互いに繋がりはじめていったのです。
ヨロズー登録アーティストの多くが、
自分たちの作品を発表する次の場を
告知し合うという形で、
互いに繋がりはじめていったのです。
有志が別の場所で連絡を取り合う場所を作り、
そこでも、それまで接点のなかったもの同志が
繋がり合い、
今もそこで今後の引っ越し先などの
いろいろなやり取りがなされています。
人は、永遠にあると思ったものが
実は永遠ではなかった事を知らされた時にはじめて、
一瞬、一秒のありがたみを思い知るものです。
少なくとも僕は、
YoroZoo閉鎖のアナウンスがあった時から
YoroZooとの、
YoroZoo登録アーティストさんとの
付き合い方の中で
YoroZooが閉鎖する事にならなければ
素通りしていたであろう
「人の縁」というものも大切にしようと決めました。
それこそ、一瞬、一秒、
正直に、誠実に、おおらかに
「人の縁」というものに両腕を広げ、受け入れ、
自分からも手を差し出して、
「縁ある人」の手に触れさせてもらいました。
今、この瞬間に「あなた」がいてくれる。
そんなことを当たり前に思いがちですが、
実は儚く尊い事なんだ、
実は有り難い事なんだ、
YoroZoo閉鎖の一件はそんなことを
僕に教えてくれました。
これを読んでる「あなた」、
ただ読んでくれるだけでいい。
コメントもいらない。
ただ読んでくれるだけで僕と
「あなた」との縁は結ばれる。
「あなた」が僕を知っている、
ただそれだけで僕らは同じ世界に存在する仲間なのです。
それ故に、僕も「あなた」を知っている。
サイトYoroZooのように形のあるものは
いつかは消える。
しかし「縁」あって同じ世界を共有する事になった
「僕ら」の姿形のない「縁」は
永遠に続いていくのだと思います。
そう。
遥か遠い昔から、何千年、何万年も前から
今ここ、この瞬間を中心に
遥か遠い未来まで、何千年、何万年先に至るまで、
「僕ら」の「縁」は脈々と絡み合っていくのだと
僕はそう信じたいです。
だから、
これを読んでくれているであろう「あなた」。
今そこで、この瞬間に
「あなた」でいてくれて本当にありがとう。
これからも永遠と思えるほどの未来永劫、
「僕」の「あなた」でいてくださいね。