見つかったパズルのピース

先日、僕には探しているというか、
思い出せない「音」があって・・・、
その音は光っていて・・・、云々・・・。
という記事を書きました。
多分その記事に対してのコメントなのでしょう。
僕のネット上でのお友達、
というか、同じ畑のお野菜仲間さんである
kajéさんという方から、
僕が見つけようとしている「音」について、
とても重要なヒントとなるような
コメントを頂きました。
そのヒントとは、
探し求めていたパズルのピースのうちで
最も重要なというか、
完成図の全体像を把握するために
必要なピースでした。
kajéさん、
ちょっとあなたのコメントから引用させてもらいますね。
以下、引用

風に動かされてものが作る音ではなくて、風そのものの音?私には風はあなたが描写したように聞こえるんですよ・・・再現なんて出来るもんじゃなくて、その中に浸れた時の至福感を心に刻むみたいな・・・水の音もそれにちかいかな・・・
以上、引用。
この文章の意味が、
はじめは僕には理解できませんでした。
何度も読み返して、頭の、いや心の中で
咀嚼してみたんです。
実際にkajéさんが言わんとしていた事に、
僕の理解力がついていけたのかは分かりませんが、
上のkajéさんの文章を僕なりに解釈すると、
なんていうのかな・・・・?
つまり自然のバイブレーション的なものに
同調できた時の至福感みたいなものの事なのかな。
だとすれば、
僕の探している、思い出そうとしている「音」というのは、
まさに自然のバイブレーションですね。
音が光になって見える、その様は・・・、
う~ん、そう、
最も根源的な「いのち」という現象の
バイブレーションと言えるのかも。
その最も根源的な「いのち」というのは、
生き物としての「生命」とは違って、
絶対的で唯一無二の「ただの存在」としての「いのち」であって、
全てがそこから始まり、
全てがそこへ還っていくその過程の中の、
ある、いち瞬間に体験した、
あるいはその体験そのものが僕自身であったという
その記憶が頭の中に残っていて、
僕はそれを必死に思い出そうとしているのかもしれません。
この世の森羅万象、総てのバイブレーションが
完璧な調和をもって響く、
そんな和音であり旋律であり、
それらが光を放つくらいの高い音で鳴り響く中に
僕という存在も、
他のあらゆる存在と同じく
同調して響いていた至福感、シンパシー
とでも言うのでしょうか。
なんか、言い方が難しいですね。
簡単にズバリと言ってしまうなら、
例えば、
バッハのフーガの様な、
いやそれ以上に完璧な対旋律を
もの凄く高い音で
ある一瞬に凝縮させて放つ
光のバイブレーション。
それは風や水のバイブレーションではなく、
もっと根源的で超自然的な
光の息吹とでもいうべきバイブレーション。
この世のありとあらゆるものが、
その根源で共有しているところの
「いのち」という「存在」のバイブレーション。
さらに簡単に一言で
kajéさん流に言うなら、
それは同じ畑のバイブレーション。
そう。そうなんだ。
僕がかつて、
今の僕ではなかった、ある時期に
それに同調した時の至福感を今、
音として表現しようとしているんだよ、きっと!!
僕は「ただそこに存在するのみの、いのち」という現象を
「音」で表現しようとしているんだよ!
もしかすると、
「音」を何オクターブいや、何億オクターブも高くした音、
それが「いのち」なのかもしれない・・・。
だって、あらゆる人間関係だって
良きにつけ悪しきにつけ、
結局は「いのち」の共鳴じゃん!!
人の人生における、あらゆる出来事自体が、
自分と自分以外のものとの共鳴現象じゃん!!
その共鳴を僕は「歌」として
人間の耳で音として感知できるように
「いのち」のバイブレーションを
何億オクターブも下げて
「音」に変換する作業をしていたんじゃないかと思う。
僕の記憶の片隅にかすかに残ってる感触っていうのは、
そう。
無数の「いのち」が輝き調和していて、
その中に自分も一緒になって調和していた、
その時の至福感だったんですよ!!
わ・・・。
やっぱり僕、
まだ精神を病んでますよね??(笑)