神様の肌触り

XVII. The Star・・・
もともと好きなんですよね。
自分なりのぶれない
フィロソフィ(哲学)や
イデア(理念)を持ってる人って。
人として。
そしてそれを表現しようとしている人は、
なおさら、僕にとっては
リスペクトの対象です。
アメブロでそれをやっている人だったら、
読者にさせて頂くでしょうね。
実際に、何人かに
そういう理由で
読者にさせて頂きました。
僕もそうありたいから。
僕の中にある
フィロソフィ(哲学)や
イデア(理念)は
しっかりぶれる事なく
持ち続けたいと思っています。
僕のフィロソフィやイデアの
キーワードは、
「博愛」「美」「光」「誠実さ」
そういったところでしょうかね。
以前、記事にした
「慎み深さ」「思慮深さ」「慈悲深さ」
これなんかも、きっとそうでしょうね。
僕は一体何者になろうとしてるんだ!?(笑)
大袈裟じゃなく、
笑い話でもなく、
真面目な話し、きっと多分
僕は「神様」になろうとしてるんだと思います。
何度も僕、ブログで言ってますよね。
「美しいものには神が宿る」って。
だから僕は美しくあろうとしているわけで、
ということは、
やっぱり僕は「神様」になろうとしてるんだと思います。
でも、それって特殊で奇異な事でしょうか?
人は生きている間、
人生という旅を通して
「神様」になろうと思う事は、
別に自然な事だと思うんですよね。
ただ、何かにつけて
そこここに美しさを
見いだす事の出来る人であればの話ですけどね。
自分なりのフィロソフィやイデアを
ぶれる事なく持っている人って言うのは、
その行ないに美しさ
つまり「美学」を求めるだろうし、
それはつまり、
神様になろうとする行為へと
繋がると思うんですよね。
神様?そんなにえらい人なのですか??
ちがいますよ。
心の中のせめて一部分でも
美しくあれば、そこに神様は宿りますから。
そう。
神様は自分の外側にいて
うやうやしく拝むものじゃなくて、
自分の内側で
いつも輝いているものだと思うんです。
僕たちの心の中に、神様が宿っている。
素敵だと思いません?
そう思うと、
不思議と愛に満ちた力がみなぎってきません?
不思議と悦びに満ちた感情が沸き上がってきません?
それが、神様の感触、肌触りなんだと思います。
結局のところ、
僕たちは
ひとりひとり
神様なんですよ。
その内面に、ほんの少しでもいい、
美しい部分を宿しているのなら、
僕たちの内側で、
ほら神様が微笑みかけてくれているのを
感じません?
だからこそ、
自分なりのぶれる事のない
フィロソフィやイデアを持ち、
その内側にあるものを
外側へ向けて表現しようとしている人たちは、
それだけでリスペクトに値するし、
愛おしく、尊く、
そして
美しい・・・。
だから僕は
そんな人たちの事が好きなんですよね。
彼らは皆、誰もが皆、
神様なんですよ。
ただ、それが当たり前になり過ぎて
意識できないだけ。
当たり前じゃない経験をすれば
そのことが、
本当によく見えてくるものです。
僕は人がそれを
よく見えるようにする為の
灯火でありたいです。