『世界』

今年最後のブログの更新です。

まあ、ここ数年は
週末に近況だったり、聴いた音楽、読んだ本を中心に
面白かったもの、ハマったものを
書くにとどまっていますが、
まあ正直な話、簡単かつ乱暴に
長文で自論、哲学等々を語るのがめんどくさくなった
というのが本音です。
「冷めた」というのともちょっと違うのです。

結局のところ、思索というものは行き着くところ
至極シンプルで、単純明快な真理にしかならないんですよ。
詳しく語れば語るほど、
難しく表現すればするほど、
大元の真理からは遠ざかってしまう、そんなものなんですよね。

しかも、若いとついつい
直接的に尖った物言いで表現したくなるものなのだけど、
歳を食うと
誰か縁ある人がピックアップするだろうからと
優しくオブラートに包んで隠して置こうとするんですよね。
いや、じじいはそうしたくなるのよ・・・(笑)

まあ大体、こうしたものって
特定の内容を的にして決め打ちして語らずとも
あらゆる物事、事柄に貫徹する性質のものだから
どんなことを書いていようが、
結局、僕の視座から見え、思索から出てきたもの、
いやそれどころか、「書く僕」という実質存在でさえも
『そのもの、あるがままがそれ』であるに過ぎない。
たったそれだけの事。
以下も以上もない。

それが人の生きる真理。(知らんけど多分)
な〜んだ。

こんなもののためにきっと人類は何千年も
山に籠ったり、
気が狂れるほどに考えたり、
あるいはハゲ散らかしたりしながら(笑)、
なんとか賢くなりたいのに
それでも一向に賢くならないのが人類であり、
皆であり、そして僕であって、それが人間。

そのうちの何百人。あるいは何千に一人くらいは
もしかすると、そうした思索の格闘の末に
とっ散らかった「世界」というものを整理し始めるのでしょう。
そうやって「心の大掃除」を済ませていく人が
この世にはきっといるのでしょうね。

そして、
その見通しの良くなった境地から見える景色は
『世界と自分がおよそ等価な実存である』と
ふと気づかせてくれるのかもしれません。
「お前はお前の観ている世界だぞ」とね。

それでは良いお年を♪