戦争アレルギー

今、日本では自衛隊のあり方が
少しずつ変わろうとしています。

軍隊にするのか!とか、
国民に戦争をさせるのか!とか、
まるで脊椎反射かのように言う人がいますが、
それでもきっとおそらく、
そういって反対する人に
それはなぜと問うても、
大抵の人はそれを合理的、論理的に
論証できないと思います。

ほとんどの人は国の武力というものに対して
刷り込まれたアレルギー反応をしているに
過ぎないのだろうと感じます。

テレビで伝えられるような
戦争、紛争を見ればわかると思いますが、
今の時代の戦争は
戦争の素人(つまり歩兵)を大量に動員して
肉弾戦で制圧するという質のものではないのです。

最新テクノロジーを駆使した兵器を
戦争のプロが使って、
さくっと終わるのが今の戦争なのです。

日本がおよそ70年前に体験した
民間人の住宅地までも含んだ
広範囲に爆弾を投下する(いわゆる絨毯爆撃)も
ないと思います。

戦争に勝っても、あまり破壊しすぎると
それを復旧させるコストも膨大になるので、
出来るだけ破壊せず、
目標だけをピンポイントで駆逐する。
これが近代の戦争です。

1年やそこら、素人が訓練して
出来る芸当ではありません。
むしろ、そういう戦場に素人がうろちょろされても
プロが困るのです。

というか、過去の歴史を見ても
大抵の場合、戦争というものは
先に素人を駆り出した方が負けるものなのです。

そういう点からして、
おそらく日本ではそうそう
素人を戦場に送り出すような
クリティカルな情勢は起こらないだろうし、
起きたら起きたで、それはすでに負けなのです。

故に、さして訓練もされていない
素人、一般人が戦場に行かされることは
考えにくいのです。

その点に於いて自衛隊が
「軍」として機能したとしても
その集団に一般人はいないのではないかと
考えます。

それに加え、
凋落の途にあるとは言え
ここまで世界に対して
影響力を持った日本という国が、
国際社会に対して果たさなければならない
義務や責任もあると考えます。

特に現代は、前述したような
旧態然の素人の肉弾戦をしてこようとする
テロリストの問題もあります。

テロリストによる事件ともなると、
警察機関程度の力では根絶できない
質のものなのです。
自爆さえ厭わないテロリズムに対抗し、
駆逐する力はやはり
軍隊しか持ち得ないし、
それを根絶する取り組みに貢献する義務を、
今の日本は有していると思えます。
お金だけでは済まないということは、
もう何十年も言われていることでもあります。

先進国にとっての敵というのは
テロリズムです。
そのテロリズムの排斥のための
軍事的な行使力、権限について、
それを戦争をするための口実であると断ずるのは
いささか浅はかなのではないかとも感じます。

極論を言ってしまえば、
戦争ができるか、できないかというのは
どちらでもいい事なのです。

この問題の本質は、
強大な殺戮や破壊から身を守り、
いかに人が体験する悲劇を減らすか
というところにあるのだろうと思えます。