ガンダム論6〜生命倫理・医療倫理

ターンエーガンダムに
主人公とは別の、
いわば裏の主人公とも言える人がいます。
かつて荒廃した地球が再生するまで
月でその時を待つ民族の
象徴として存在するお姫様です。
日本でいう天皇陛下のような存在でしょう。
このお姫様というのは、
人工冬眠や
遺伝子操作をされて
千年以上も生きている人で、
その存在意義こそ
再生した地球への帰還なのです。
彼女はもう生きるのは
充分生きたと考えています。
それどころか、
普通に老い、死んでいく事に
憧憬の念さえ持っているようです。
それもそのはず。
月に住む人たちが望むが故、
その象徴たる彼女は
延々と
老いる事も許されず、
職務を果たすために
人工冬眠から目覚め、
職務を全うしたら
再び人工冬眠で眠りに入る。
そんなライフサイクルを
千年以上続けいくことは
実に過酷で残酷な事ともいえます。
劇中にこんな台詞があります。
「長寿である事がめでたいものではないと
思い至りました」
人生というものは
喜ばしい事だけを
重ねていけるものではありません。
同時に
辛い事も積み重なっていく、
そんなものなのです。
現代の医療というものは
非常に進歩し、
外的に何かしらの補助を与えるだけで
生命はどういう形にしろ
維持することが可能になってきています。
そうした外的なフォローをし
生命を維持させると、
身体は死を望む、望まざるにかかわらず
代謝を持続しようとします。
僕の父もそうでした。
身体が全く動かず、
かと言って
脳が死んでいる、いわゆる
脳死の状態でもなく、
死ぬ数ヶ月感は
人工呼吸器と
管からの栄養だけで
生きながらえていました。
果たしてその間
父は何を思ったのでしょう。
僕ならいっそ殺せと言うでしょう。
父のケースは
医学的に言うならば、
心臓手術の影響による脳梗塞の状態で
全身を自発的に動かす事が出来ず、
重度の障害に至ったという症例でした。
脳梗塞の所見はあるものの
脳死という判定には至らなかったケースです。
もちろん、
人工呼吸器や
栄養を摂取するための管が無ければ
生命は維持出来ない状態です。
本来なら死に行く運命にある生命を
外的にコントロールして
それを維持していく事は、
果たして生命の倫理として
正しいのでしょうか。
太古の人は
不老長寿を願ったと聞きます。
そうした願望が
めぐりめぐって医療へと
帰結し昇華されていったのでしょう。
しかし、
普通に老い、そして病み、
やがて死んでいくという、
それこそ
生命のサイクルの基本にあがなって
それを歪めてしまうのは
果たして自然の摂理に適った
行為なのでしょうか。
死もひとつの代謝だと思うのです。
その存在は新しい
もうひとつの存在を生み、
古きものとなり
新しきもののために滅びゆく。
故にこのガンダムに出てくる
月のお姫様も、
月の民が地球への帰還を完了したら
死ぬつもりでいました。
目的を果たし、
新たな時の礎を築いたら
あとはそれを後世が引き継ぐ。
そうした
ごく自然のサイクルを
このお姫様も悟っていたし、
憧れてもいたのでしょう。
老いて病み、死んでいくことを怖れて
人は医療にすがりますが、
その医療が人を健やかにする事もあれば
かえって
生命現象の循環を阻害してしまう事にも
なりかねないのもまた
医療のような気がします。
もちろん現代の医療では
生命の「死」に関して
評価の基準を何重に課した
ガイドラインというものがあります。
しかしそれは
「法」が定めた死であり、
必ずしも
「個」や「私」の
死に対する
認知と合致するとは限りませんし、
また死の定義でさえ
個人によって違います。
それ故に
自らが望むような「死」を
迎えられる事は
実は幸せなことなのかも知れません。
きっと
その人その人にとっての最良な
理想の死もあることでしょう。
そして
悔いを残した死とは
理想の死とは言えないでしょうから、
理想の死を遂げるには、
今、この瞬間
出来る事を可能な限りやり遂げる事が
必須の条件となるでしょう。
美しく死するためには
美しく生きなければならない。
結局、
懸命に生きて潔く死ぬ。
これがもっとも美しい「生」であるような気がします。
寿命を伸ばしたり、
生存率を上げるだけが医療じゃないと感じます。
健やかに「生」を営み、
潔く死ぬ事を尊しという理念の中に
医療の本質があるような気がします。
月のお姫様は
地球で
風に吹かれて飛んでいった
枯葉を見て
「きれい」とつぶやきました。
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