医療倫理という葛藤

今、ひとつの倫理について
深く考えさせられる場面に
直面しています。
$鮎沢郁弥のLes Fragments d'ete(あゆさわいくやの夏のカケラ)
これは半月ほど前、
感染症にやられた苺の苗です。
多い時、全部で7株ありました。
株分けの時、
用意した土に真菌性のバイ菌が
潜伏していて、
過剰に水をあげ過ぎたうえに、
午後の西日を浴びて
地熱が上がり、
一気に潜伏していたバイ菌が
増殖し、
ランナー(茎)づたいに
全部の株にバイ菌がまわってしまいました。
異常に気付いて
即座に
バイ菌が行き来するルートになる
ランナーを切断し、
バイ菌の移動経路を断ちました。
土はすべて
新しいものに入れ替え、
さらに土壌に除菌薬を注入しました。
なんとか病気の進行は
緩やかになったものの、
ひと株、またひと株と
力尽き死んでいきました。
結局残ったのは
古くて充分に成長した
体力のある株だけでした。
その株も今、
病気に蝕まれています。
どうもこの手の病気は
治る事が無いそうです。
そして実際もう、
処置出来る事は
全てしました。
あとは
株の生命力を信じるだけなのですが、
ここで僕の判断が
問われているのです。
果たしてこの病んだままの苺、
病んだまま生かしておく事が
苺にとって良い事なのだろうかと。
治らない病気に罹っているし、
ずっとこまめに様子を見てきましたが、
なかなか快方に向かわないのが
実状です。
いっそ土に還した方が
苺のためなのかもしれない
と考えるのですが、
新しい葉は
病気で奇形になってしまっていますが、
それでも生えてくるのです。
生えてくる以上、
苺は生きようとしているとも言えるわけで、
それを考えると
株を諦めて土に還す気にもなれません。
けれど、奇形は奇形。
病んだ状態のまま。
多分、自生している苺だったら
とっくに死んでいると思われます。
人為的に生かしておく事は、
自然の摂理の観点からして
正しい行いなのだろうか。
そう迷いつつも今日、
また2回目の除菌薬を入れました。
株や土壌の規模的にも
薬をやるのはあと1回が限度だと思います。
生かすか、
死なせるか。
大きな病院では
きっとこういうシーンが
頻繁に起こるのでしょうね。
もっとも
僕は医療従事者ではないので
実際の現場の現実を知りませんが、
病院での死の判定は
あらかじめ
死の判定のための
ガイドラインとフローチャートがあって、
それを複数の医師が
患者さんの状態を評価し、
議論したうえで
生かすか、死なせるか、
つまり
延命処置をするかしないかという
裁定を下すのだと思います。
医師という第三者が
冷静かつ客観的に診断したうえで
死と判定するならまだしも、
自分が育て続けた生き物の
生死の分かれ道のディレクションを
素人の一個人が下すとなると
非常に迷います。
今、残った2株の苺という
命に対して
僕は何をする事が最善なのでしょうか。
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