ガンダム論5〜生命現象

『(患者さんは)
生きているから汚れ物が出るし
血も流す、汗も流す』
ガンダムには基本、否定的な僕ですが、
唯一ガンダムの中で
認めていると言った
ターンエーガンダムというガンダムの中で
最も印象に残っている台詞です。
台詞なのですが、
これが僕の頭をかち割るほどに
骨身に染みたのが
僕の父の死でした。
僕の父は心臓の病気で
手術をしました。
執刀医グループのリーダーにあたる
先生が父の手術中に
手術の現状の説明に来ました。
結論だけを言うに
手術が
成功して回復するか、
手術中に死ぬか、
生きて手術を終えても
意識が戻らないまま死を待つか、
そのいずれかになります。
そう言われました。
結果は最後の
手術自体は上手くいっても
意識が戻らないというケースでした。
手術直後は
父も意識があって
受け答えもしていたのですが、
数時間したら
もう眠ったままの状態。
たまに目を開ける事はあったのですが、
完全に目の瞳孔は開いて
どこを見ているのか
全然分からない状態でした。
当然、寝たきりで
自分で汚物の排泄の処理も出来ませんし、
食事もとれないので
鼻から胃にかけて管を通して
そこから栄養剤を
入れられていうような状態。
さらには自発的に呼吸も出来ないので
喉に穴を空けられて
管を気道に通して機械で
呼吸をさせられている、
そんな状態でした。
他人事として捉えれば、
そこまでして生きながらえるくらいなら
いっそ死んでしまった方がと
考えてしまいがちですが、
やはり家族、まして自分の親ともなれば
そんなに簡単に割り切れるものでは
なかったです。
身体に管を付けて
無理矢理に生かされている状態でも、
せめて
生きていてくれればと願っていました。
しかしそんな願いも虚しく、
父は逝きました。
父を看取ったすぐ後
ふと思い出したのが、
冒頭の台詞だったのです。
『生きているから汚れ物が出るし
血も流す、汗も流す』
そうなんですよね。
生きているという事は
こういう事なんですよ。
他人は汚物を汚いと言うけれど、
そんな汚物が
出るからこそ
生きているのです。
死んでしまったら
汗も血も流れない。
汚物も排泄されない。
きっとこの台詞を書いた人自身、
そう感じる経験をしたのだと思います。
現実の伴わない思いつきで
こんな台詞は絶対浮かばないと思うのです。
劇中、この台詞の後に
「わたくしはそういう風に
考えた事はありませんでした」
と続くのですが、
正に僕もそう。
そんな風に
「生きる」という事象を
考えた事がなかったです。
そういう視点から
生きる事の貴さを見る事を
この台詞から教わりました。
汚いものが出ても
それは生きている証拠。
生きている、ただそれだけの事が
どれほど希有で
有り難いものなのか。
僕の心の中で
父の死という事実と
このガンダムの台詞が
爆発的な化学反応を起こして
僕に「生きているという事象」について
学びを与えてくれたと思っています。
父のいまわの際、
死に行く数分前。
僕は父と目が合いました。
その目は
瞳孔の開いた何も見ていない目ではなく、
しっかりとした
生きた人の目でした。
生物の機能的な現象だったのか
父自身の感情がもたらしたのか、
その真相は誰も知る由はないのですが
そんな父の目が
うっすらと涙で潤んでいたのは
僕自身、絶対に一生忘れられないです。
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