痴人の愛 – 谷崎潤一郎

最近ハマっている小説家は谷崎潤一郎。
ちなみに、まだ初心者につきご容赦を。

『痴人の愛』は谷崎潤一郎の
大正13年から14年にかけて
連載で発表された作品。

『痴人の愛』というタイトルだけを見て
なんとなく僕がイメージした
ストーリーや世界観とは違いましたが、
読了してみればなるほど、これは
「痴人の愛」という形を見事に表現していると感じます。

この小説の面白みをネタバレしない範囲で
ざっくりこの物語の概要を説明するなら、
主人公は一組の男女であり、
そのうちの男の方の述懐という形で話が語られていきます。

あくまで、
「大正時代のジェンダーの価値観」であることが前提ですが、
この語る主役の男は
もう一人の主役である女(はじめは少女)を見染めて
男尊女卑的に(大正時代ならわりとありがちだったのだろう)
モノにして自分好みの女に育てあげようとするのですが、
女の方はこれがこれで
男に物をねだるは、金はたかるはの贅沢三昧。
さらにはあちこちに男を作るはの
とんでもないビッチで・・・、という話。

おそらく大正時代当時にこういう風俗というのは
非常に衝撃だったのでしょう。
事実、解説にも書かれていますが
「悪魔的」とさえ評されたよう。
けれど、
アッシー、メッシーくんを侍らせる女と
女とセックスするために24時間働く男がいた
昭和のバブル絶頂期を知る者からすれば、
『実にわりと普通』

きっと日本人は自由と引き換えに
堕落を背負ったのだなと俯瞰して感じます。

でもさ、このバブリー感豊富な男女観は
昭和末期の遺物じゃないと思うのです。

こういう関係性って
アイドルとその握手会に足繁く通うファンの人
という構図の中にそっくりそのまま
息づいているんですよね。
色恋のスキャンダル、不祥事を起こしても
「それでも、僕は好きでい続けます!」
と言い切るファンの人、いっぱいいるじゃん、って。

まあ、そういう『愛の形』を描いた作品が
この『痴人の愛』
・・・だと思った。

でも、ここで
一つ勘違いをしてはいけないことが
あると思うのです。

この作品で作者が描くところの
「痴人の愛の形」というのは、
男女に共通して普遍なるところの
「歪な形」ではないと思うのです。

こういう愛の形というのは
実に「男性的」であると感じます。
女性はこういう人の好きのなりかたって
あんまりしないんじゃない?と。

何をされても盲目的に愛し続けますなんていう、
粘着的な愛の形というのは
いわば「男性的な愛の歪さ」だと感じます。
大方の女性的な対応だったら

スパーン!(なんか切る音)
THE END

これで話終わっちゃうもん。

思うに、現実にいる
ロクでもない男となかなか縁が切れない女性の
愛の形って
実際的には「男性的」な愛だと思うの。
・・・うん、まああとは
各々の人生経験で噛み砕いてくれ(笑)