スマホやパソコンのざらつき

以前から、僕のアナログ化が止まらん(笑)
という話を度々していますが、
ちょっと、こういうものを導入しまして・・・。

日記。
まあ、万年筆を使うようになって
色々と手で書きたくなるわけですよ。
とはいえ、厳密に日記をつけるという意図ではなくて、
主に、自分のアルバム制作に関するログというものを
付けてみようかと思った次第で。
特に、歌詞のネタ帳なども
これまでパソコンやスマホのメモに書いていたのですけれど、
日記(とか手帳とか)に
浮かんだその日の欄に書いておくと
いつのアイディアだったんだと、一目瞭然になるのは
結構いいかも、と思ったのです。
けれど今のところ、上の日記帳も
結構、スカスカ気味。
今作っているアルバムが
もっと深くに進んでくると、
結構、混み合ってくると淡い期待。

けれど、元々僕自身は
ノート(パソコンなども含む)などに
『記録する』という習慣はありませんで。
ええ、振り返らないもので(笑)

そういうこともあって、
もう何十年も、歌詞を書く100円の水性ボールペンと
書類を書くときのボールペンだけで事足りたし、
必要な覚書はスマホやパソコンにメモしておくという習慣から、
「手で筆記用具を使って書く」という
人として至極当たり前の習慣を取り入れるようになって、
パソコンのフォルダ感覚で
書くことの内容によってノートを使い分けようとすると、
やたらとノートが増えるのですね。

けれど、なんかそれが心地いいです。
雑然として字も汚いのだけれど、
それでも、自分一人が読んで理解できる分には
スマホやパソコンの画面のフォントで見るより、
断然見やすいし、頭にも入りやすいです。
それに何より、
『心に優しい』

なんだろうね。このデジタルものの、
ざらっとした、
画面を見ると目に砂利を流し込んできるような感覚。
なんというか、文章自体のもつエネルギーが
見えてこーせん・・・。(平たく言うと味気ないとも言う)
みんな、これ気にならずに平気で使ってるのか???
と思えるくらいに。

これって、「生きた作品」を形にしようとする
意思を持つには、致命的なことなような気がするのです。
僕の生活の中で、あらゆる文章が
ワープロで綴られるようになっても、
「作詞」というものは、
結局、最後まで手書きであり続けた理由が
この辺にある気がします。

と言うか、
生活の中でデジタルものの道具一辺倒になるのは
本能的にものすごく危険なことだと感じます。
何もかもがデジタルな環境に
何十年も晒され続けると
割と真面目に、心が壊れると思う。
何も感じないのは、
よっぽど鈍いか、麻痺しているかのどちらかのような。
いずれにしても、
デジタルに触れると、どんどん色が無くなっていくんですよ。感性に。
便利なんだけど、これ、苦しい。

詰まるところ、
魂なんですよ。ソウル。Soul(笑)
認識の主体をここに置かないと、
完全に、デジタルツールに「使われる」ことに
なる気がします。
苦しいけれど、やっぱり便利。

この辺のバランス感覚って、
しっかり考えないといけない時期に来ていると思えます。
人類として・・・。