東海村臨界事故についての本を読んだ

ちょうど20年前、
とある事故が起きました。

原子力燃料の加工施設で
核燃料を扱う作業中に、
大量の放射線を出す燃料の溶液を
誤ってこぼしてしまい、
それを作業員が深刻な被曝をしてしまうと言った事故でした。

茨城県の東海村というところで起きた臨界事故です。

当時、テレビで報道特番もやっていましたし、
ネットで検索すると、詳しいことが出てきます。
そう、当時のテレビなどで伝えられなかった事までも。

この事故で被害にあった方は、
もしかすると日本人では
もっとも放射線を浴びた人だったのかもしれません。

広島の原爆が投下された後、
すぐに爆心地に入って数時間作業した人の被曝量が
0.2シーベルトだそうですが、
この事故で作業員は、あっという間に20シーベルトもの
被曝をしたそうです。

こうして、放射線を浴びた人が
その後どうなるのかは、
ネットで調べる手間をかけてでも
知っておいたほうがいいと思うのです。

原子力発電は今でも行われています。
それが良いことなのか、悪いことなのか、
それは人それぞれが考えて判断すべきことでしょう。

ただ、一つ確かに言えるのは、
原子力や放射能というものについて
もっと誰もが
『正しい理解』をするべきではないか、ということ。

こういう技術を使って何か不測の事態が起きた時、
一体、どうなったらNGで、どこまでがセーフなのか。
もちろん僕も、きっと正しくは知らない。
けれど必要があると思えます。

なぜか。

かつて、日本に原爆が投下され戦争が終わり、
原爆の被害にあって被曝した人は
「原爆症」に苦しみ、
これは「感染するもの」だというデマによって
被曝した人や、その家族などが
差別や偏見を受けたということがありました。

こうした放射線、放射能に関するデマは
日本にとどまらず、世界中でも
今だに存在しています。
そうした根底には
『人の原子力に対する全くの無知』
にあると思うのです。

「放射能がどういうものかもよく知らずに」、
放射能の「ホ」の字を聞いただけでも
ヒステリックに過敏にアレルギーを起こすようでは
人間は原子力など関係のない場面でさえ
偏見や差別という愚かしい業をいうものから脱却できない。
脱却できない限り、
人は延々と悲しみや怒りから逃れられず、
それが新しい悲劇の苗床になるのでしょう。

正しく知ること。
それは理解につながります。
理解は寛容につながります。
寛容は慰めへと昇華できるでしょう。

この本には
被曝した作業員の治療の記録です。
ネットではショッキングなリソースも
残されてはいますが、
そうした「不用意に」ショッキングな情報は排除して、
事実だけが記録されています。

人という存在をそれこそ強引に
消しゴムで消しにかかろうとしてくる
人類最悪の火傷と、その進行を阻止しようとすると人との
戦いの記録なのでしょう。

「大量の放射線を浴びた人」と
その家族や、治療をした人、看護をした人が
いかに、この被曝と向き合ったのか。
そこに、
差別や偏見を憎悪させないヒントがあるような気がします。
もちろん、放射能についてだけではなく。

そして行き着くところは
『人の尊厳』
なのでしょう。


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