エーリッヒ・フロム- 愛するということ

人生には何度も読んで、
熟考したくなるような本というものがあるもので、
僕にとってこの
エーリッヒ・フロムという人の
『愛するということ』という本こそが
まさにそれにあたります。
まさに、僕の人生のバイブル。

というか、この本は一般的にも
名著と言われているものです。

邦訳では「愛するということ」と訳されていますが、
原題は『Art of loving』
つまり「愛する技術」について書かれています。
まあそれを、この本を未読の人が、読む前から
言葉通り「愛する技術」について書かれているのだと
理解すると、また意味合いが変わってしまい、
???となるでしょう。

実際に読み終えて、なんの話だった?と問われれば
「愛するということ」についてだよね、
となって、やっぱり
この邦題は『愛するということ』でいいんだよね、
と落ち着くという(笑)

人は、
愛されるために、とか
愛されているから、とか、
そういう理由で「それ」を愛しがちですが、
そうした「条件付け」を通して顕現される愛というのは
所詮は虚構なのでしょう。

あなた、
それを愛しているというけれど、
それにそっぽ向かれても
愛し続けられるの?

この問いかけについて、
おそらく大抵の人は即答で
イエスとは答えられないでしょう。
少なくとも一瞬くらいは自問して固まると思います。

そっぽを向かれても
「はい、愛しています。
ゆえに、自分はそれと同化できます」
そう、迷うことなく言えて
実践できるようになるには、
それ相応、あるいは
人それぞれの人の心の発達の度合いによって、
それなりの素地となる
「愛するための技術」が必要になってくる。
それがタイトルの「Art of loving」だと
僕は考えます。

もちろん、ここでいう「愛」というのは
単に男女の愛だけではありません。
仕事においても、人生においても、
何においても貫徹するところの「愛」です。

それを「愛して為す」には
やはり、「愛する経験」が必要なのです。

現代人、
現代の日本人、やはり
これが決定的に足りていないと思うのです。
皆とまでは言わないけれど(言いたいが)
誰もが、
「愛してくれないと、わざわざ愛そうとしない」
なぜか?

確かに、そうやって条件付け、理由づけをして
愛するほうが、分かりやすいし簡単なのかもしれない。
ああ、こうやって「愛すること」を
手軽に可能にするために
愛は取引の「質草」になり、
あるいは商材になっていく。
あれ?それってよく考えると
愛と呼ぶのか?
愛されていると言えるのか?

ここを考え始めるとき、
大きな示唆を与えてくれるのが
この本なのではないでしょうか。

と、難しそうな言い回しで書いていますが、
実際、この「愛するということ」は
コンパクトかつ、比較的平易な言葉で
語られているので(翻訳もいいのだと思う)、
哲学書(のカテゴリだと思うけど)にしては読みやすいというか、
割とカジュアルに「雰囲気もの」で
ナンチャッテな感じで読んじゃっても
それなりに響くものはあると思います。
はい、愛というのは
それ自体が、それほどに概念が広く深さのあるものですから。

読み返すたびに
愛についての示唆というものを
色々な角度、レベルで与えてくれる本だと言えるでしょう。
それゆえに
半世紀以上も読み継がれている名著なのだと思います。