近所に駄菓子屋があると素敵

僕が育った昭和という時代は、
自分の街に2軒や3軒は駄菓子屋が
あったものです。

駄菓子屋では、
お店のおじいちゃん、おばあちゃんたちに
見るでもなく見守られながら、
そしてたまには叱られながら
子供達はそこで、
やんわりと、
見知らぬ人と、いかに仲良くなるかだとか、
喧嘩した時、どうやって丸く収めるのかとか、
いろいろと「シェアするという考え方の基礎」とか
そういうものを学んでいたような気がします。

勉強以外の「学び」というものは
やはり、勉強の「外側」から見なければ
わからないものです。

だから、
学校という社会の枠の外側に身を置くこともまた、
一つの学びとして重要な要素なのだと思います。

縦の競争、横の広がり、
どちらも大切です。

今の時代、
とかく「自分の内側あるいは、外側だけ」に向けて
線を囲おうとしますが、
この線が心を苦しくさせるように思えます。

大人になれば、
自由に出たり入ったりできる
息抜きの場所というものは、
行動力でいくらでも作る事は出来ますが、
子供はなかなか、そうはいきません。

まだ幼いうちから
そのような窒息しそうな生き方をしていては
いい大人にはなれない気がするのです。

自分の内側ばかり、外側ばかり
一点だけ見ていては
優しくなれないと思います。

学びの外側に、内側に、
気軽に寄ることのできる駄菓子屋があると
程よく幸せになれる気がします。

それは「仕切られることのない」
やんわりと混ざっている場所。

こういう所に駄菓子屋があると
単純に、社会も安心するし
家庭も病まないような気がするのです。


コメントを残す