ニュースにもR指定をかけて欲しい

凄惨な事件が起こるたびに
違和感しか感じないことがあります。

その凄惨な事件の渦中にある当事者のことを
メディアはあまりに、根掘り葉掘り
引っ掻き回しすぎだということ。

犯人は、確かに最悪な罪を犯したかもしれませんが、
その向こう側には、相対的に
最悪な罪を犯された被害者もいるわけで、
それをメディアが嬉々として何日も
「みなさん!こいつが悪者です!悪いでしょ!」
とあげつらう事は、
ただ単に、思い出したくないことを
蒸し返しているだけにすぎないのだと思うのです。

被害者の心情を
わざわざ、メディアを通して明るみにする必要はないし、
加害者の人となりなど
当事者でも陪審員でもない市井の人が
全くもって知る必要はないのです。

この犯人は、いかようにして凶行に及んだのか、とか
その被害者は、どのような手口をもって傷つけられたかとか、
そのようなことを知る事は、
防犯のための知識というよりもむしろ、
「こうやって人を殺めるんだぜ」と
教唆しているも同然だと思うのです。

映画や漫画やゲームの中の「現実ではない」凶行は
しっかり規制して、不適切なところに
及ばないようにしているのに、
「実際に起きた」それは
朝昼晩、家族の集まる食事時に
大手を振って放送されるのは、
どう考えても間違っているように感じるのです。

報道という生業は、
真実を明るみにして、広く人に知らせる性質のものなので、
その生業や、それで生きている人の存在を
否定するつもりはないのですが、
『広く知らせるべきではない出来事』もあるのだということを
果たしてどこまで、こういう仕事に就く人の意識の中で
醸成されているのだろう、と思うと
どうしても、首を傾げたくなります。

そして何より、
こういう気分の悪いニュースを報道するのは
結局、見ている側の人たちの中にある
興味本位の「野次馬根性」がそれを求めるからで、
これは、人にとって
もっとも卑しい部類の下卑た心であり、
そういう低いものが、
人が死んで、嬉々として覗き込ませているのだということを
意識したほうがいいかもしれません。

嬉しいことや楽しい事は
いつも心において大切にしまっておけばいいけれど、
辛いことや悲しい事は
さっさと忘れてしまっていいし、
忘れさせてあげて欲しいのです。


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