心は水のようなもの

月並みの表現なのですが、
やはり人の心というものは
魂という器の中に入った
水のようなものなのだろうと思えます。

この器も、水も、
日々手入れしていないと
みるみる汚れ、破れ、腐っていき、
そこには悪いものが湧いて出てくるのです。

特に器に入れる水であるところの
心というものは、
日々、入れ替えて濁らないようにしておかないと
器であるところの魂まで
痛めてしまうでしょう。

腐った水を放置して
器まで傷つけて、
いびつになっているそれを
よくよく鏡に写して見てみるといいと思います。

鏡は自分の外側にある全てであり、
その外側のもの見てどう感じるのか、
それが自分を鏡に映した姿なのです。

自分の中で
何が腐敗し、何が壊れてしまっているのか。
それを省みることのできる人たちが
もっと多くなって欲しいです。

結局、自分の心をメンテナンスできるのは
「自分だけ」であり、
これができないと、
人はいつまでの心に腐敗を抱えたまま、
その腐敗越しに世の中を見ざるを得ないのです。

「自分」とは何者か?

それは年齢や性別、国籍や立場、
そのような表面的なものは
ごくごく浅い部分のちょっとした印にしか過ぎず、
もっとも価値として問われるべき自分の本質は
日々、日常的に発露しているところの
普段の「在り方」であり、
それこそが「真実の自分」なのです。
何も隠されても、出し惜しみもされてはいない
自分も、人も、よく知っているところの
「自分」こそがそのまま「真実」なのです。

そしてその「真実の自分」は
常日頃から手入れをしてやらないと
膿むのです。

器の水を綺麗にして
鏡に映る自分の姿にもっと
気を使った方がいいと思います。


コメントを残す