元号またぎで人が透けて見える

2019年3月25日現在であと1週間、
平成に変わる新しい元号が発表されます。

そしてゴールデンウィークが10連休になるそうですが、
僕はあんまり関係ない・・・(涙)

特に改元による様々な儀式が
報道されるような日の過ごし方によって、
結構、その人のアイデンティティやメンタリティが
浮き彫りになるような気がします。

例えばそれこそ、コンサバティブな人であれば
関連した行事に関してリアルタイムで、
いち国民として粛々とそのセレモニーを
共有したいと考えるだろうし、
その一方できっと、
そういうことに一切興味を示さず、
日本を離れて海外旅行に行く人もいるでしょう。
そして、そのどちらかを享受したいと思ってはみても
仕事で無理とか、
ともすればあるいは病気や怪我をして無理、
となる人だっているし、
今までの日常と、全く同じ日常を
何ら変わらず過ごす人もいます。

そのリアクションこそが
自分そのものだということ。

イベントは大きく、または重要であるほどに
本来の自意識が浮き彫りになってくるのでしょう。

時には、こういう時の過ごし方の違いは、
そのまま、価値観や人生観、感性の差異となって、
人の心を結びつけたり、
引き離したりするものなのかもしれません。

こういうイベントから生まれた
滅多にない10連休の過ごし方は、
それこそこの30年の
自分の生きてきた結果と
次の時代の自分との交錯を
暗示するものなのかもしれません。

日々、人は特に何もなくても
そういう風に生きて、因果を紡いでいく存在なのでしょうが、
このように概ね主観で展開していく現実に
非日常的なイベントという絶対軸が打たれると
それに対するリアクションとして
人は客観的になる機会を得るのでしょう。

そこで客観的な軸から見える
「主観たるところの自分」こそ、
そのまま、今現在、そのままの自分であり、
普段、一人称的、主観的、無意識で過ごす
自分の鏡像なのでしょう。

ともあれ、急に話は変わりますが、
新しい元号は
なんかこう、春を感じさせるような
優しく温かいものがいいな、個人的には。


コメントを残す