皆、誰しもキチガイだ

人は誰しも、自分の中に
おぞましいほどの狂気を
同居させているものなのです。
それは決して異常ではない。

僕だって頭の中、つまり
「妄想」の類の中であれば、
何百回も殺人犯になったし、
同じくらい性犯罪者にもなったし、
軽い暴行や、詐欺、窃盗に至っては
数え切れないほどに見覚えがあります。
しかも、これらは「かつて」ではなく
今も進行形のそれとして
無尽蔵かと思えるほどに、
僕の脳内から産み出され続けています。

これは、僕だけではなく
誰しもが持っている「心の闇」であって、
特殊な人だけが抱える病気でもなんでもなく、
むしろ、健全な心の持ち主であるほどに
その心の闇の重さを認識できるのでしょう。

そう思うのは鮎沢、お前の頭がおかしいからだ。
普通の人はもっと健康で善良な日常生活を営んでいる、
そういう人もいるでしょう。

けだし、
心の闇を持っていないと自負できる人というのは、
それらを完全に無意識の中に抑圧して
認識することができない、
あるいは認識しようとしない
『心の盲人』であるか、
心の情動が全く不全にある
『心の白痴』であるか、
自らに内包される心の闇の存在を知りつつも
自分は健康で善人であるふりをして
他者に「闇」を押し付けて
自分の中の善良な自我を保とうとする
『心の詐欺師』(これが最も悪徳)
これらのいずれかに当てはまるタイプの人だと思えます。

そして、そう言い切って
自分の心の闇の存在を告白する僕自身、
だからと言って実際の社会生活の中では
決して前科持ちであるわけもなく、
事件に巻き込まれたこともなければ、
警察に指紋を取られた経験さえありません。
それは、大多数の人たちと同じです。
まあ、確かに以前は
相当に精神を病んで崩壊さえも経験しましたが・・・。

時として人はダークなもの、例えば
それは映画であったり、漫画や小説であったり、
音楽であったり、
何かしらの悪役キャラクターであったり、
そうしたものたちが
膨らんでいく自らの心の闇の
ガス抜きをしてくれると同時に、
結局、「悪徳」からは破壊しか生まれない
という教訓を学ばせくれたものだったのですが、
どういうわけか最近では
むしろ「悪徳」であることの方が「美徳」とされる
そういう風潮になってきているようにも感じます。
もっとも、その結果は結局
「悪徳なりの結果」にしかならないのですが。

普通に健全な心と感情の持ち主であれば
常に心(頭)の中で
ベビーフェイス(善役)とキール(悪役)の主張が
拮抗しているものなのです。

それこそ、ベビーフェイスを賛美するために、
キールはキールとしての役割を背負い、
この両者が自らの威信をかけて
本気で対峙し、ぶつかり合って
キールはその与えられた花道によって
美しく敗れ去り、
ベビーフェイスの凱歌が新たなキールを産む、
そういう循環というか、「輪」こそが
人の心(思考)のごく自然な振る舞いなのです。

狂気を抱える僕や、他の誰しもが
実際に社会的に重大な犯罪者にならずにいられるのは、
他ならぬ、このキールと戦い、
その結果ベビーフェイスが勝ってきているからなのです。
誰しもが、普通に意識することなくとも
そういう葛藤をして、
外的な世界に対して
人徳としての間違いを犯さぬよう踏みとどまっているのです。

そういうものなのです。

それこそ例えば、
自分とは別の悪い人格が分離して現れただとか
悪霊が取り憑いているだとか、
そういうものは「自分の脳の中にある幻想」に過ぎず、
自分の中の狂気を制しきれない時の
理由づけに存在するものでしかないのです。
全て、元は
自分の「良識」と、それを穢す「良識ではない」ものとを
天秤にかけて判断する心(思考)の動きに過ぎないのです。

たとえ、何かしら不可解な「別人格の悪」が
自分の心の中に現れたとしても、
その悪をはねのけるだけの強さがあれば良いだけのことなのです。
自分の中に何かしらのおぞましい「狂気」に
気づいたとしたら、それは
決して恐れるに足るものではないのです。

確かにそれは、非常にストレスを産むことかもしれません。
けれど、それは
「心が成長している証し」なのです。
補助輪を外して自分のバランス感覚で
ものの善し悪しを自分の思考で判断すべき段階になった、
それだけのことなのです。
体の骨が急成長すると痛むように、
心も急速に成長すると苦痛を伴います。

心は感じた苦痛の分だけ鍛えられ、強くなります。

善悪プロレスのリングの上には
必ずベビーフェイスとキールが上がってきます。
ベビーフェイスとキールがいなくては始まらない試合です。
ベビーフェイスの立つ瀬は賛美のあるところ。
キールの立つ瀬は浴びせられるブーイングのあるところ。
それが脳内会場の興業なのです。

この程度のことは何も「狂気」でも「闇」でもない。
普通の「葛藤」という名のアクティビティに過ぎないのです。
この戦いを繰り返して
人の精神はより高い善性を獲得していくのです。

いつか、自分の脳内の
ベビーフェイスとキールが
リングの上でドタバタ格闘して
互いの特性を切磋琢磨して成長させている様を、
客席から楽しむような、
そんな景色を見る日が来るでしょうから。


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