おい!ミュージシャンは神様だったぞ!!(笑)

1月3日。
せっかくなので、
今年のお正月に気づいたことを
もう一つ書いておきましょうか。

ジャンルを問わず、
色々なコンサートやライブに
行ったこと、演ったことのある人なら
イメージをしやすいと思うのですが、
ライブの前後には「物販」と言って、
そのアーティストのオリジナルグッズを販売する、
そういう場が設けられています。

CDだとか、Tシャツだとか、タオルだとかその他色々。

今年の元旦に近所の神社に初詣に行ったのですが、
そこは街なかにこそっと鎮座している割には、
お正月の参拝客で結構混み合う神社で、
お札やお守りなどは
テントとテーブルを特設して売られております。
テーブルにはワープロで急ごしらえで
プリントされたような「お品書き」も
テープで貼り付けられております。

感のいい人は、ここで気づいたかもしれませんが、
そう、これライブの「物販コーナー」と全く一緒(笑)
売っているものが
「アーティストグッズ」か
「神様グッズ」かの違いがあるだけで、
価格帯まで同程度という。

ここにあるマネーフローが同じという意味において、
こういう視座で見れば
神様もアーティストも「同じもの」なんですよね。
そこに気づいたのは、決して僕だけではないと思うのです。

で、それを前提として僕として思うのは、
この人間社会の中では
「音楽というコンテンツ」は
「現代の文化としての宗教」と
同じ道をたどるのだろうな、ということ。

これは、音楽を高尚なものと規定しているのではなく、
むしろその逆で、
音楽も「神」と同様に現代社会においては
衰退していく運命になるのだろう、ということ。

近年はお寺のお坊さんでさえ、
それを本業として生活していくのが難しいそうですし、
町の小さな神社にしても、
維持費不足でボロボロになっているところなど
珍しくありません。
そして、ここがものすごく重要な部分なのですが、
そのくせ、
胡散臭い紛い物だけは
耳触りの良さそうな「甘いだけの言葉」で
人の心を惹きつけて莫大な富を得ていたりするのです。

言い換えると、
今時の音楽ビジネスの手法は
新興宗教の信者集めの手口と
根本的な方法論は同じなのです。
「何かしらで魅了して、お金を吸い上げる」

神や先祖を口実に富を吸い上げて、
結局最後に吸い上げるものがなくなって
痩せ衰えていったように、
この手の音楽もまた
痩せ衰えていくのは目に見えています。

元日に
「例の二十九番のおみくじ」を手土産に持たされて
鳥居から出ていくときに、
ふとイエス・キリストが
こんなことを言ってそうな気がしました。

「せやから、あれほど偶像崇拝すな言うてん・・・」
(なぜか関西弁)