男女の統合

近い将来、
人の男性女性のバランスという概念が
重要視される時が来るかもしれません。

ここでいう男性と女性というのは
もちろん、生物学的な性別による
男女の社会における在り方という、
誰しもが共有しうる外的な条件としての
男女のバランスから始まり、
そして内的な
個人の内なる男女性のバランスに至っていく
質のものになるのかもしれません。

思うに、この「男女の概念」というものは
何かと荒んでいくこの人間社会にあって、
安定と平和に導く鍵ですらあると思えるのです。

世界の多くの人にとって、
ここが均衡を保てるようになれば、
この荒んだ世界も
楽園への道へ回帰し始めるかもしれないと。

誰しもが、
生まれながらにして
男女のどちらかである以上、
男女性のどちらかに偏った精神性を獲得していきます。

もしかすると、セクシャルマイノリティの人は
男女性の不均衡による苦しみや葛藤に
いち早く向き合うべき性(さが)を持って
生まれてきた人たちなのかもしれません。

けれどこれからは一般的な人も
自分の中の内なる男女性のバランス、
そして外的な男と女のバランスについて
向き合っていくようになるのではないかと思うのです。

性的なマジョリティ、マイノリティを問わず、
誰もが自分の内にも外にも存在する
男女を性質、概念を統合して
「ひとつの全体」という視点を獲得することが、
この世界を存続させていくために
必要なことであると悟る時代が
やってくるかもしれないと感じるのです。

男と女が統合し、ひとつであることこそが
本来の生命の自然な姿なのだと
悟っていく時代がやってくるかもしれないと。

男女性の均衡のとれた構造のなかで
運営されている社会というものが、
いかに幸福な社会かと
多くの人が気づく時代です。

そしてそうした社会の最小単位とは、
自分の内なる男女性を
うまく均衡させることのできる
『一対の』個人なのだろうと思うのです。

「一対の個人」というのは
言うまでもなく、
男女の番(つがい)のことです。
当然、セクシャルマイノリティの人にでも
存在しているであろうパートナーのことです。

片方の個人が、もう片方の個人と出会い、
「一対の個人」となり、
そうした「一対の個人」が増えていくことで
人はかつて過ごした楽園へ還っていくのだと思うのです。

現状のまま
男女性のバランスを欠いたまま、
それどころか男性性に偏重してさえいるこの社会は、
何千年もかけて人間を枯れさせてきたのかもしれません。

今という時にあって、
内なる男女性のバランスの不均衡を克服し、
本来の人間の姿に回帰する時が
訪れたのでしょう。

ある意味、
男女の統合ということは
それほどに世界の救済につながることであるとも言えるし、
ともすれば神事なのでしょう。

男女の統合が世界の完成に導くと
言ってもいいほどに。


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