歓喜

命というものは本来、
その本質は「喜び」なのだと思うのです。

喜ぶことで、愛は生まれ、
それが伝播し
新しい命を生む「原因」となるのです。

命は留まりません。

喜びの波は
水の上に広がる波紋のように広がり、
新しい波を生みながら、
「喜び」は永遠に形を変えつつ
存在し続けるのです。

それが命。

人は喜べなくなると
次第に色あせ、
生きながらにも死んだ存在となります。

肉体的に生きながらも、
精神的に死んだ人。

こういう捉え方をすると、
逆に肉体的にはすでに死した人でも、
精神的には今なお生き続けている人もいます。
肉体的にも精神的にも死んだ、
名もなき過去の人たち。
肉体的にも精神的のも生きている、
今が充実した人たち。

いろいろな人たちがいますが、
いずれにしろ、
「生きた状態」にある人のもとには
常に「歓喜」があるのです。

「命」のあるところには
常に喜びがあるのです。

人は人生を生きて、
その「生命の源」であるところの
喜びを見失うことはままあります。

おそらく、
人はその度に死に、
新たしい喜びを見出しては
生まれ変わっていく存在なのでしょう。

こうした命の連なり、サイクルを通して、
喜びはその源流へと近づき、
それと同時に自らもまた
源流となっていくのだと思うのです。


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