ロックのエネルギー

先日のチャック・ベリーの訃報を受けた記事から
繋がる内容の話ではあるのですが、
「ロックは死んだ」という言葉から考えるに、
「ロック」という音楽はおそらく
僕たち現代人よりも
上の存在になってしまったのかもしれません。

僕自身、「ロック」というのは
歯に衣着せぬ物言いをするなら
「最低の音楽」だと考えています。
粗野で、煩雑で、乱暴で。
けれど、この荒々しいエネルギーこそが
ロックの「最高の部分」でもあると思うのです。

かつて、20世紀までの、
こと第二次世界大戦後から
零戦が終焉を迎えるまでの期間の
まだ、きな臭い部分を残した人類の
「生きる力」を供給してきたのが
ロックだったのだと思うのです。

そんなロックも年老いて
エネルギーを失って、
「生命力そのもの」だったそれも衰えれば、
それは皆、虚ろな死んだ目のようになっていくのも
無理からぬことなのかもしれません。

そう考えてみると、
もしかしたら
「ロック」というエネルギー自体が
消化して上に昇って行ったわけではないのではないか
とも思えるのです。

現代人自体が、
ロックの持つその
粗野で煩雑で乱暴な、
「最低のエネルギー」よりも
さらに低いところへ落ちてしまっているのではないかと。

ロックが上がって行ったのではなく、
人類が落ちて行っているのではないかと。

僕はロックの持つ
粗野で、煩雑で、乱暴で、
大抵は下品かつ陳腐でありながらも、
ともすれば、裏を返した時
実に高尚な真理を言い当てることもあるような、
「生きた精神」のメッセージを込めることのできる
一番、最下部のエネルギーを愛しています。

このエネルギーは
人が人らしく、また純粋に
この世界を生きるための支えとなる
基礎的なエネルギーだと思えるから。

こんな荒く低いエネルギーさえも感得できないほどに
落ちて行ってはいけない。

けれど、この爺さんは最後まで死なへん(笑)


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