物凄く今更ながらFFXが面白い件

例えば、現実の
「日本のお盆」
夏の夜風に揺られて微かに鳴る風鈴の音を聞いて、
「ああ、今は亡き人が揺らしたのかな」
と思える風情、情緒がたゆたう世界。
それがFFXの世界なのだろうなと思えます。

こう言う風情というのは、
やはり若い頃よりも、
より「死」というものが
身近になった中年以降の方が
よりよく理解できるような気がします。

かれこれ10年以上前になるでしょうか。
プレイステーション2のゲームの
「Final Fantasy X(以下、FFX)」を
やったことがありまして、
すごく面白かった記憶があります。

で、今年の初め頃だったでしょうか。
このFFXのダウンロード版が
期間限定のセールで
¥3000くらいで売っていたので、
懐かしさもあって購入したのです。
レコーディングが終わったらやるぞ〜!
と思いつつ。

で今、やってます(笑)

まあ、僕自身、
ゲームはあまりやらないので
(コントローラーを持つのがだるい・・・)、
あれこれと比較したり、
細かいところがどうだとかは分かりませんが、
このFFXは、今やっても面白い!
というか、歳をとった今だからこそわかるような
部分もあったりとか、
色々深いなと感じながらやってます。

以前、映画「ゴーストインザシェル」を
観たよという話の中でも書いた覚えがあるのですが、
やっぱり、世界観がしっかりしていると
話も自ずと良くなるものなのだろうな、と。
もちろん、
ごたごたと専門用語を並べるだけで
世界観というものは構築できません。

そういう架空の世界に
人が生き、歴史を作って、今があるという
人々の営みの形跡、というものが
世界観になりうると思うのです。

そして、このFFXにもまた、
この世界を生き、歴史を紡いできた
多くの人々の、ものの考え方、
哲学、宗教がある。
この世界の人々が
ここで何に悩み、苦しんでいるか、
いや、逆に何をもって幸福であろうとするのか。
この世界の人たちは
何を拠り所にして
その生を歩み、全うしようとするのか。

FFXの場合、そういう部分に
「死生観」や「宗教観」を重ねて
語っていると思えます。
というか、
ゲームというメディアでそれを
表現できているところが凄いの一言。

FFXの世界というのは
アジアンテイストで、
仏教で言うところの
「生と死」
「浄土と穢土」
が散りばめられているのですが、
「ある場所(目的)」を目指すヒロインと
彼女を守る主人公や仲間、と言う構図は
まさに、現代版(ゲーム版)「西遊記」
なのかもしれません。

実を言うと、10年以上前にやった時、
このゲームのストーリーに
思わず涙が出てしまいました(出たシーンがあると言うか)

後にも先にも、ゲームで泣けたのは
個人的にはこれだけですね。間違いなく。

で、その泣けるシーンを
10数年振りに見たのですが、
おそらく、以前とは少し違うものの見方で、
やっぱり泣けた(笑)
歳をとった分、
もっと奥の方まで慮ってしまうが故に。

ゲームに限ったことではないのですが、
やっぱり、
「小手先だけではない本物」と言うものは
時間や時代を超えるのだと思う。
それどころか、受け手の精神の成長に合わせて、
ものの見方が変わることによって
同じ作品であっても、成長するかのように、
また違う側面を見せてくれる。
そう言うものを名作と言うのだろうなと。

要するに、
故人はしっかり供養しないと、
化けて祟られるぜ(笑)的な。