例えば薬。

体の調子が悪い時に飲んだりする薬は、
その薬効成分を
1000分の1とか、10000分の1とかに薄めます。
つまり、それくらいほんの少しの量で効くわけです。
ものによっては
1グラムも摂取したら
死んでしまうものだってあるでしょう。

そういう意味では、
薬というのは「毒」なのです。

香水の成分だってそう。
匂いの元となる「単体」の
成分の匂いを嗅ぐと、
とてつもなく臭いのに、
それが色々な匂いと混ざって、
あるいは、ほんのごく少量であるのなら、
それは俄然、甘美な芳香となるのです。

あと、僕などは音楽を作る人間であるわけですが、
音楽もまた、
どこかに「毒気」がないと
退屈なものになってしまうのです。

この真理は、
この世のあらゆることにも
言えることだと思ったりします。

物事というものは、
その全体の中に、
ほんのわずかな「毒」が潜んでいるから、
それを解毒するための
例えば「恒常性」のような作用が働いて、
全体に「動き」や「活力」が生まれ、
そしてそれが「生命力」になっていくのでしょう。

「それ」に毒が無ければ
ただ単にそれは「それ」でしかなく、
「それ」以外の何物にもなれないのです。
逆に換言するなら
毒があるからこそ、
「それ」は「それ以外のもの」に
変わっていく可能性を獲得し、
より良きものへと栄えていくことができるのです。

けれど、冒頭の薬品の喩えのように、
毒というのは、
本当に、「それとわからないくらい」の
わずかな分量だけがあればいいのです。

人間は、この毒にさらされると
感覚が麻痺して、
より強い刺激を求めて
さらなる毒を求めますが、
そうやって毒ばかりを求めるようになったのが
今の人間社会の姿であるのだと思えます。

人間社会が珍重して取り込んでいる毒もまた、
はじめは、
より人間が「活力のある精神活動」を実現する
薬だったのです。

けれど、これは麻薬でした。
たくさん求めすぎて
感覚は麻痺し、
廃人にさせ、
やがて死に至るような。

そもそも、それらは
大量に消費するから毒なのであって、
それが「良薬」として機能するよう
コントロールできていれば、
それは世の中を悪くさせる毒ではなく、
喜びを満たしてくれる薬となるものだったはずなのに。

毒で満たされたものから出る
毒から生まれた毒が
今、人を苦しめているのですが、
感覚が麻痺してしまって
苦しいことにすら
気がつけない人も多い時代です。