「賢さ」とは

年度末に入り、
4月からは新しい「学ぶべきもの」が
控えてる人も多いでしょう。
そうした「学ぶべきもの」を
獲得する事によって
確かに人は賢くなれるかもしれません。
果たしてそもそも
「賢さ」とは何なのでしょうか。
たくさんの知識を持っている。
そしてそれらを応用出来る。
また、そうしたものたちを論理的に整理出来る。
人はそういうスキルを持った人の事を
「賢い」と言いがちですが、
本当にそれは賢いと言えるのでしょうか。
いくら、膨大な知識と
論理性に基づいた理解力を持っていても、
寛容さと包容力という精神性が無ければ
人生という日常にあって
調和した生き方は出来ません。
所詮、論理的に体系付けられた知識など、
人の精神が扱うひとつの道具に過ぎないのです。
状況や時代が変われば
その道具は役に立たなくなる事も
大いにあり得ます。
それ故に、
調和した普遍性を持つ全体像の本質が
しっかり身に付いている事が
非常に大切になってきます。
調和した物事は
どういう紆余曲折を辿ろうと、
結局、正しい答え(知識)へと辿り着きます。
それを本質ともいうし、
真理とも言います。
本質にそぐわない、つまり
調和した生き方が出来ないということは、
それすなわち
知識と精神のバランスが
崩れているという事のなのです。
最終的に
それは調和していなければ
何も意味もありませんし、
不要ですらあります。
真の「賢さ」とは
どれだけ「調和」を知っているかであると
言い換えても良いでしょう。
知識があって調和が生まれるのではないのです。
調和があって知識が身に付くのです。
まして、不調和を真実と思い込み
それを土壌に育てた知識は
誤った知識になってしまいます。
正しい知識が身に付くのは
調和の中にあってこそなのです。
あれやこれやと、
細分化されたメソッドを学ぶ前に
まず完全なる調和した全体像を
把握するべきなのだと思います。
全体像を知っていれば、
今、自分はその全体の中の
どの部分を学んでいるのかを把握出来ますし、
その学んでいる「個所」は
全体の中でどのような関わりを持ち
どのような役割を果たしているのかも
理解出来ます。
難しい事は追々で良いのです。
調和した全体像を
どれだけ明確にイメージ出来ているか。
「賢さ」の本質は
そこにあるのではないでしょうか。
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