ターンエーの癒し – 富野由悠季

2000年刊行の本です。

ガンダムの産みの親
という言い方はあまりしたくはないのですが、
一般論的にはそういう扱いをされている
富野由悠季氏のエッセイ。

僕もいくつかカテゴリーを設けて
記事にしたとこがある
「ターンエーガンダム」というテレビ作品の
制作前後の時期に書かれたものだそうです。

この本を読むと、
ガンダムの中に出てくる「シャア」と言う人は
この人の鬱憤の捌け口だったのだろうなと
理解できる・・・。

厚かましくも、僕がこの人を引き合いに出して
識者ぶるつもりなど毛頭ありませんが、
この人の考え方というのは
おそらく、僕とそっくり(笑)

僕も、この人と同じようなツボに
怒り、嘆き、失望し、そして未来に希望を見出している。
そして「人」と言う存在を基本的には愛して入るけれど、
「人」は自分とは別の狭い世界の存在として
嫌悪してもいる、
そのような想いが読んで取れます。

それ故に僕自身、この本を読んで
まるで自分のことが書かれているような気になって、
自分を恥じた(笑)

上述のように、
この人はすごい人。
そしてこの人のメンタリティを
ありありと感じてしまえる僕も
実はすごい人、
などという下卑た自己承認などするつもりはありません。

そもそも、僕が感じた「これ」が
果たして正しいのかどうかも疑わしいのだし。

ともあれむしろ、この人気持ち悪い(笑)
と言うか、普通に宇宙人かもこの人。
けれど、その同質の気持ち悪さを僕は持っている。

それでも彼という人物に
どこか愛嬌さえ感じるのは、
それはまさに持って生まれた人徳なのではないかと
思えたりします。

僕が鼻つまみ者なだけに余計ね(笑)

さて、内容は前述の通り、
彼のエッセイなので、その主旨たるものは
特に難解ではないのですが、
とにかく文章に癖がありすぎて
慣れてくるまでは、ちょっと読みづらいかもしれません。

この人の文章は、右脳だけでドバーッと
書いたような印象で、
なかなかに取り止めがなかったりもします。
この言葉を理解するには、
一度、自分の左脳で文章を取りまとめて再構築するか、
あるいは、こちらも右脳のまま
彼の思考にチャネル(笑)して、
その精神世界を垣間見るしかないのでしょう(笑)
文章それ自体が、ある意味アイコンの羅列なのかもしれない。

そういう思考の波動に揉まれながら感じたこととと言えば、
もの(作品)を作る人間としての心構えについて。

現代においての作品(あらゆる形態、ジャンルの)は
経済活動の中で生み出される製品ではあるのだから、
制作活動を維持していくための最低限の
収益は得られなければならない。
けれど、「収益のためだけに作られる作品」という点のみに
執心していいものでもないのではないか。

もっと下世話にいうなら、
金になればそれは上質、
そうでなければゴミという価値観もまた違うのじゃない?

という問いかけがそこに見えました。

この本が書かれたのは、およそ20年前で、
オタクコンテンツが、まだ今ほどに下品でなかった時代です。
商業主義とオタクが融合すると
ここまでえげつないことになるとは
多くの人が想像だにしなかった時代に、
その点に一抹の危惧を抱いているこの人には、
やはり並外れた未来予測能力があるのでしょう。

そう。
この人の未来予測は実に鋭いと感じます。
予言ではないです、もちろん。
あくまで予測。
社会の本質がよく見えている。
それ故に苦悩も多いのでしょうが、
きっとそうしたフラストレーションが
作品の中へと昇華されていったのだと思います。
未来予測のイメージが作品に転写されるから、
10年後とかに、
「そう言えば、あの時、あの作品に出てきたような」
と思わせるような社会情勢や事件が
実際に起こるのでしょう。

未来予測、という点において挙げるなら、
パソコン時代の到来と古いツールや社会システムの淘汰、
というところから始まり、
繊細で感受性の高い人の増加とその受難。
カルト集団による武装やテロと右傾化していく世界。
男性の軟弱化とそれに取って代わろうとする女性と
ビッチ化した女性に振り回される社会。
身勝手になり、キレたり、引きこもる若者。
などなど、挙げればいくらでも出てきます。
バシッと言い当てているわけではなくとも
キーワードの的中率はかなり高いと感じます。

まあ時代が時代なら、
本当に千里眼を持つ予言者と称されていたかもしれませんが、
あくまで、社会や世相から導き出された
一つの予測にすぎないことは
釘を刺しておかなくてなはらないでしょう。

けれどそもそも、その未来予測の能力にしたって、
世俗の穢れに埋没することなく、
「ものを見る目の純然性」が保たれているのなら
誰もが持ちうる能力、いや能力ですらなく、
花に水をやらなければ枯れる、
やり過ぎれば腐る、程度の
摂理に則った因果律にすぎないのではないかと思います。
その程度の理屈もわからないのが人というものなのでしょうが・・・。

そういう意味でこの富野由悠季と言う人は
非常に魂の綺麗な人だと感じるし、
混じりけがない分、時にはグロテスクささえも
内包してしまうのかもしれません。

最後に一つ。
前述した、未来予測のキーワードの中で
まだ実現していないものもあります。

普遍的な宇宙生活者の登場です。

これは実現しないでしょう。
物理的に本当にこれをやったら、
世界の経済が最初にひしゃげて、
巡り巡って最後に人類がひしゃげる。

けれど、
感受性が高く、察しの良い人ばかりの世の中が
到来したとするのなら、
人は、物理的にではなくともおおよその意味において、
宇宙生活者になれるのかもしれません。

言い換えるのなら、
人間は内的に宇宙生活者にならないと
物理的な人類は間違いなく潰れてしまうよ、と。

人は無理に宇宙で暮らすことなく、
自然な形で宇宙にたゆたうことができるのが
理想なのではないでしょうか。

この「ターンエーの癒し」と言う本を通して窺いしれる
富野由悠季と言う人の内的世界には
そのような声が響いている気がします。